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浅井長政の格差感覚は病気?! [いわなが姫の丑の刻参り]

徳勝寺境内に
浅井(あざい) 3 代の墓がありました。
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長浜駅からほぼJR線沿いに
歩いて 10 分あまり南下したところ。

元は小谷城下にあった寺だそうですが
秀吉とともに長浜に移り
さらに丁重に今の地に建て替えられたのかも。
徳川将軍家のご先祖さまでもあるのですから。

出自のはっきりしない
浅井亮政(すけまさ)が
かすめ盗った領地に
小谷城(おだにじょう)を築いてから
孫の長政が 1573 年自刃するまで
50 年の運命が静かに眠っています。

小谷山の山麓の小谷城戦国歴史資料館には
「浅井三代記」がありました。
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無芸大食!不勉強の徒は
読んだことも聞いたこともありませんが
司馬遼太郎は「史料価値は低い」と
斬り捨てています。(街道を行く・近江散歩)

「浅井三代記」の成立は 1670 年
江戸幕府 4 代将軍の時代。
そんなときに
将軍の曾祖父の伝記に
情けないはなしは書けませんよね。

なんでもかんでも美談調になり
架空話が多くなるのは必定。

浅井 3 代目の長政が滅んだのは
「格差感覚」かも知れないと
司馬は書いています。

オレはエライ!
そこいらの馬の骨とモノが違う!
そんな感覚でしょうか。
極端になると!ビョーキでしょうか。

浅学ゆえそんな単語!全く知りませんが。

社長じゃないとはなしをしない!とか
なんとか大臣と友だちだ!とか
100 年前に生まれていたら
松下幸之助はオレがなっていた!とか
いい年をぶら下げて!ほざいている人がいますが。

そんな私の周辺の人を
ただの阿呆だと思っていたのですが
脳の中!罹病(りびょう)していたのでしたか。

浅井長政は
織田信長と対等だと思っているのに
主従の関係を強(し)いられて
ぶち切れて自爆したのかも。

対等!いやそれ以上と思っていても
信長や秀吉に忠実に従って(従うフリをして?)
天下を取った徳川家康にはなれなかったのですね。

しかし!
お市と長政は仲がよかったのでしょうね。
5 年に満たない生活で
4 人(5 人という説も?)の子を生(な)しました。

その 3 女のお江(ごう)を経て
将軍家と天皇家に
浅井と織田の血筋を残しました。

お江はまた
豊臣の血筋も摂関家に残しました。

2 番目の夫・豊臣秀勝との間の子
完子(さだこ)は
関白・九条幸家の正室になっていますから。

血統の勝利者ではありますね。
立派です。

小谷城のあった小谷山の下
私の面前で!
シオカラトンボがクモに捕まってしまいました。
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一瞬振り向いたトンボの顔が
見たこともないのに
浅井長政の!
格差感覚の果ての苦悶の顔に見えて
思わず!目をそらして仰ぎました!
幻の小谷城を!

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(これは現在の長浜のコンクリート製の模擬城です)

帰宅して入浴していたら
足首の少し上にほくろが?!

径が 1mm ほどの黒いかたまり。
さわるとヘラヘラと揺れます。

皮がめくれているのかも。

ん!?
なにかモヤモヤしていますが!?

ぎょえ~っ!
虫!?

私の美肌に食らいついているものが?!
モヤモヤはバタバタさせている虫の足?!
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たたりじゃ~!
長政殿!
悪口!いってすみません。

(敬称略)
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