終戦記念日 ドジョウは泣いた [不謹慎ですが、、、]
ドジョウ(泥鰌)が好き!
いつか大邸宅に住むようになったら
敷地内に渓流から沼田まで作って
日本の全種類のドジョウを飼いたいものです。
あ!
営利養殖ではなく!趣味でね。
○ × ○ × ○
食べる方では
ウナギ(鰻)は好き!
ドジョウは嫌い!
という勝手なヤツがいますね。
私にはウナギもドジョウも
同じような匂いがしますがね。
北宋の梅堯臣(1002 年生 1060 年没)の詩。
箸をくだせば紫鱗(しりん)に勝る
すなわち知る 至賤(しせん)の品も
ただ甘辛を調するにあるを
(江鄰幾饌鰌のおしまいのところ 筧文生・注釈)
ドジョウは
調理次第で高級な魚よりうまい!といっています。
○ × ○ × ○
江戸時代のたぶん後期の
為御菜(おさいのため)という
おかずの番付を見ると
「どぜうなべ」というのがありますね。
夏の食べものです。
ん?!
ドジョウは「どぢやう」と書くのじゃないのですか。
「どぜう」表記は
江戸の一めしやがなんかリクツをつけて
自分の店ののれんに書いたものでしょ。
広辞苑を引くと
江戸時代にはしばしば「どぜう」と書いた
ふ~ん!?
「どぜう」は個人の勝手でもないのかも。
どじやう汁 紺地に白き旗をあげ (柳多留)
「どぜう」「どぢやう」ではなく
「どじやう」でもいいんですかね。
たぶん!いいんです!意味が通じるなら!はは。
○ × ○ × ○
「おとうさん、、、今ぼくは」
「おとうさんと一緒に」
「ドジョウをとりにいったときの」
「思い出だけで頭がいっぱいなんです」
森繁久彌が泣きながら
録音したのだそうです。(森繁久彌著/こじき袋)
沖縄の空へ飛び立つ特攻隊 60 名の
遺言を録音する仕事をしたのだそうです。
20 歳にもならないような若い人が
ドジョウの思い出ひとつを抱いて
大空に散ったのですね。
しかし!そのすぐ後!
敵と竹やりで刺し違えてでも
後を追うはずだった人が
落下傘スカートをはいて
進駐してきた敵のドジョウに!
いや!ウナギに!いや!ウデにぶら下がって
媚(こび)を売っていたり。
ああ。
○ × ○ × ○
滝田ゆう著/黄色い花/の
純情可憐だった八重ちゃんは
悲しくも豹変します。
おとうちゃんにいいます。
「メリケン粉だって缶詰だって」
「缶ビールだってあるじゃない」
「もう食べる心配はなくなったのよ」
でも!おとうちゃんは
毎日泣きながら酒浸りです。
八重ちゃんは進駐軍の兵士に強姦されて
石鹸工場を辞めて
進駐軍のバーに勤めています。
おとうちゃんは
まもなく遠いところへ行ってしまいました。
ちなみに
黄色い花とはカボチャの花のことです。
カボチャの花しかなかった時代は
ふしあわせ?それとも、、、
ふしあわせの中のしあわせ?!
○ × ○ × ○
北宋の黄庭堅(1045 年生 1105 年没)の詩
「清明」の終わりのところ。
士は焚死(ふんし)に甘んじて公侯たらず
賢愚 千載 誰が是(ぜ)なるを知らんや
滿眼の蓬蒿(ほうこう)共に一丘(荒井健・注釈)
焼き殺されても公爵や侯爵になるもんか。
賢者も愚者も千年経てばだれがだれやら。
よもぎしかない丘はよもぎしかない。
(私の勝手な意訳ですので他言は無用です)
○ × ○ × ○
多くの墓地では
なん年かごとに「永代供養料」を更新しなければ
墓石を無縁としてかたづけられますね。
じゃ!「永代」の単語を使うなよ!
比叡山延暦寺に
「久遠墓地」というものがあるそうな。
子孫に代わりホントに
永代!供養してくれるのだそうです。
寺が存続していればね。はは。
でも
千年後には
丘の 1 草のヨモギになった方がいいかもねぇ!
夏!見上げるほど伸びて
冬!枯れてちぎれて
木枯しに飛んで行けばいい。
ほうほうと!蓬蓬と!ほうほうと!
○ × ○ × ○
ドジョウよ!泣け!
「きゅきゅ」と泣け!
黄泉(よみ)の国への道しるべに。
今日は 66 年目の終戦記念日。
(敬称略)
いつか大邸宅に住むようになったら
敷地内に渓流から沼田まで作って
日本の全種類のドジョウを飼いたいものです。
あ!
営利養殖ではなく!趣味でね。
○ × ○ × ○
食べる方では
ウナギ(鰻)は好き!
ドジョウは嫌い!
という勝手なヤツがいますね。
私にはウナギもドジョウも
同じような匂いがしますがね。
北宋の梅堯臣(1002 年生 1060 年没)の詩。
箸をくだせば紫鱗(しりん)に勝る
すなわち知る 至賤(しせん)の品も
ただ甘辛を調するにあるを
(江鄰幾饌鰌のおしまいのところ 筧文生・注釈)
ドジョウは
調理次第で高級な魚よりうまい!といっています。
○ × ○ × ○
江戸時代のたぶん後期の
為御菜(おさいのため)という
おかずの番付を見ると
「どぜうなべ」というのがありますね。
夏の食べものです。
ん?!
ドジョウは「どぢやう」と書くのじゃないのですか。
「どぜう」表記は
江戸の一めしやがなんかリクツをつけて
自分の店ののれんに書いたものでしょ。
広辞苑を引くと
江戸時代にはしばしば「どぜう」と書いた
ふ~ん!?
「どぜう」は個人の勝手でもないのかも。
どじやう汁 紺地に白き旗をあげ (柳多留)
「どぜう」「どぢやう」ではなく
「どじやう」でもいいんですかね。
たぶん!いいんです!意味が通じるなら!はは。
○ × ○ × ○
「おとうさん、、、今ぼくは」
「おとうさんと一緒に」
「ドジョウをとりにいったときの」
「思い出だけで頭がいっぱいなんです」
森繁久彌が泣きながら
録音したのだそうです。(森繁久彌著/こじき袋)
沖縄の空へ飛び立つ特攻隊 60 名の
遺言を録音する仕事をしたのだそうです。
20 歳にもならないような若い人が
ドジョウの思い出ひとつを抱いて
大空に散ったのですね。
しかし!そのすぐ後!
敵と竹やりで刺し違えてでも
後を追うはずだった人が
落下傘スカートをはいて
進駐してきた敵のドジョウに!
いや!ウナギに!いや!ウデにぶら下がって
媚(こび)を売っていたり。
ああ。
○ × ○ × ○
滝田ゆう著/黄色い花/の
純情可憐だった八重ちゃんは
悲しくも豹変します。
おとうちゃんにいいます。
「メリケン粉だって缶詰だって」
「缶ビールだってあるじゃない」
「もう食べる心配はなくなったのよ」
でも!おとうちゃんは
毎日泣きながら酒浸りです。
八重ちゃんは進駐軍の兵士に強姦されて
石鹸工場を辞めて
進駐軍のバーに勤めています。
おとうちゃんは
まもなく遠いところへ行ってしまいました。
ちなみに
黄色い花とはカボチャの花のことです。
カボチャの花しかなかった時代は
ふしあわせ?それとも、、、
ふしあわせの中のしあわせ?!
○ × ○ × ○
北宋の黄庭堅(1045 年生 1105 年没)の詩
「清明」の終わりのところ。
士は焚死(ふんし)に甘んじて公侯たらず
賢愚 千載 誰が是(ぜ)なるを知らんや
滿眼の蓬蒿(ほうこう)共に一丘(荒井健・注釈)
焼き殺されても公爵や侯爵になるもんか。
賢者も愚者も千年経てばだれがだれやら。
よもぎしかない丘はよもぎしかない。
(私の勝手な意訳ですので他言は無用です)
○ × ○ × ○
多くの墓地では
なん年かごとに「永代供養料」を更新しなければ
墓石を無縁としてかたづけられますね。
じゃ!「永代」の単語を使うなよ!
比叡山延暦寺に
「久遠墓地」というものがあるそうな。
子孫に代わりホントに
永代!供養してくれるのだそうです。
寺が存続していればね。はは。
でも
千年後には
丘の 1 草のヨモギになった方がいいかもねぇ!
夏!見上げるほど伸びて
冬!枯れてちぎれて
木枯しに飛んで行けばいい。
ほうほうと!蓬蓬と!ほうほうと!
○ × ○ × ○
ドジョウよ!泣け!
「きゅきゅ」と泣け!
黄泉(よみ)の国への道しるべに。
今日は 66 年目の終戦記念日。
(敬称略)
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