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淀川の柴島は柴刈りの島?! [わが街・大阪ブギウギ]

先祖は
晒(さらし)屋でした!という人がいます。

木綿(もめん)か麻布の漂白を
生業(なりわい)にしていたのですか。
河内木綿(かわちもめん)の地ですものね。

柴島晒(くにじまさらし)と呼ばれて
大勢の人が従事していたとか。

柴島(くにじま)は淀川のそばですね。
今も地名や阪急の駅名がありますが。

しかし
「突然!晒しの村全戸が」
「神崎川なんかへ移住させられたのですが」
「戦後!需要がなくなり」
「みんな廃業してしまいました」とか。

淀川右岸に立ち
大阪市の柴島浄水場を左にして
上流に向けば
大昔の柴島晒堤が見えます!?
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blog柴島.jpg
(幻の柴島晒堤)

明治の終わりのこと。
300 年の歴史ある晒業を追い出して
ここに大阪市の浄水場が建設されたのですね。

川はなにごともなかったように
とうとうと流れ
取水のための淀川大堰は光っています。
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現在!浄水場と淀川との間に
住宅街や高校があります。
それはそれでどのような変遷があったのやら。

その住宅街の中に忘れられたような
小さな石碑がありました。
「柴島城址」だそうですよ。
blog3.jpg

昔から「柴島」という地名があったのですね。

近くに柴島神社もありました。
blog4.jpg

大洪水時に
仲哀天皇(192 年即位)を祀(まつ)る森に
村人みんなで避難していたら
柴(しば)の束に乗った神が流れてきたそうな。
それが起源。
だから「柴」の「島」神社。
古いはなしです。

しかし!
その「柴島」を
「くにじま」と発音するのはどうして。

いくつかの説があるようでも
決定的ないい伝えは現存していないようです。

私は無責任にも思います。

浪花八十島といわれるほど
大阪湾は中州や島だらけだったのでは。
「柴島」も島だったに違いありません。

そこは樹木が繁茂していて
薪(たきぎ)すなわち
「柴」を刈る島だったのでは。
そしてクヌギの多かったのでは。

つまり「クヌギ」イコール「柴」
「柴島」も「クヌギ島」も同じ島。

「クヌギ島」が変じて「クニ島」?!
「クヌギ」は「国木」とも書かれたそうですから。
漢字は「柴島」で発音は「クニジマ」になった!?

あれ!?
この説も昔からあるんですって!

あは!忘れてください。
正確には郷土史家にお聞きください。

blog5.jpg

柴刈りということばも死語になりました。

柴島浄水場をつぶすという人を
大阪市民は今度の市長に選びました。
また風景が変わりますね。

   よどみに浮かぶうたかたは
   かつ消えてかつ結びて
   久しくとどまりたるためしなし

再び川にもどり堤を歩けば
鴨長明の方丈記の書き出しが
かつ現れてかつ消えて。
淀川は京都の鴨の流れのなれの果てでもあります。

(敬称略)
タグ:方丈記
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