五山の送り火 船岡山に座す [平安京有情]
船岡山。
なごんちゃん(清少納言)が枕草子に
「岡は船岡」と書いたところ。
平安京の朱雀大路の真北。
京(みやこ)の建造時の測量の基準点かも。
四神相応思想で
この山を玄武にあてたと聞きましたが
あんまり大きな山でもないので
どうでしょうか。
五山の送り火の日(2015/08/16)です。
夏休み・盆休みで
良識人は旅行だの帰省だの墓参りだのと
狭い車内に長時間缶詰になって
まるで!
夏季に課せられた難行苦行をしているかのようです。
私は難行する機会に恵まれないので
この山で「行」を!座禅でもしようかと。
「でも」つきです!不謹慎ですみません。
炎天下でも降雨の中でも動かず
昼過ぎから送り火点火の 7 時間ばかり
静かに座っていましょう。
午後 1 時過ぎ。
もうきている人が数人いますね。
五山(6 峰)全部が見えるという丘です。
ま!鳥居形だけはシロートには無理かも。
そこは!よほどのツーしか知らない
狭いポイントらしいのですが。
屋根のある休憩所の角に
本陣を構えたいと思います。
「大文字」と「妙」「法」が正面に見えます。
5 歩前に出れば「舟形」
3 歩横に動けば「左大文字」の見える好位置です。
どハデな柄のベッドと脚立を出します。はは。
水とバゲットは昼夜兼用の食糧です。
船岡山にはときどききているのですが
五山の送り火を見にきたのは
1 度だけだったような。
そのとき!雷雨に打たれました。
こけつまろびつ!
ほうほうの体で建勲神社横を下ったような。
だれと?!
忘れました!大昔ですから。
思い出したくても思い出せないことと
思い出したくないのに思い出してしまうことの
ふたつに苦しめられます!人生は。
そして
ここにいえない人は前者ではありません。はは。
通り雨がきました。
バラバラでいた人が
私のいる屋根の下に避難してきました。
なんと!
日本の女の子とばかり思っていた人が台湾の人。
日本の可愛い童女風な子が
英語ではなしかけてきます。
その他!アジア人多数。
イタリア人のひとり旅の青年が
日本語で語りかけてきます。
その他!西洋人多数。
外国の人ばかりでしたか。
確実な日本人は富山からこのために
夜行バスできたおじさんくらい。
雨は降ったりやんだり。
「少々の雨でも大丈夫」
「必ず点火しますから待ちましょうね」と
日本語でみなさんを励まします。
たぶん!
励ましたことにならなかったと思いますが。
嵯峨徳子著/京都大不満/によると
京都人は「五山の送り火」なんて呼ばない!
昔は「大文字焼き」といっていたそうな。
今でも「大文字」と呼ぶそうな。
年中!由緒ある名代の行事に囲まれている京都人にも
「大文字」の日は落ち着かないとか。
祇園祭から「大文字」までが
京都人がそわそわして
気にかける夏のようです。
たとえば!「時代祭」は
昔からの行事ではないので
観光客のようには関心がないらしい。
「葵祭」は
大昔から現在まで庶民は蚊帳(かや)の外かも。
蜻蛉日記にあるように(拙ブログ 2015/05/15)
場所取りに奔走するのは貴族だけだったのでしょう。
座禅は簡単に撤回して
そわそわもしないで寝ていましたが。
涼しい。
蚊もどこかへ行きました。
午後 5 時。
少しは増えましたね。
午後 7 時。
ぎゃっ!いつの間に大勢の人。
ふり向けば後ろにも。
ところが
この後 1 時間に
このなん倍もの人が詰め込んできたのです。
午後 8 時。
正面の「大文字」点火。
5 分後「妙」と「法」が浮かびました。
8 時 10 分。
「舟形」だという声。
が!大変。
群衆に囲まれていて 1 歩も前に出られません。
無理やり前に出るものの
全体像の見える場所には行けません。
さらに 5 分後の「左大文字」も大変。
しかし「左大文字」はすぐ近くですから
ちょっとどちらかに割り込めば
手に取るように近くに見えましたが。
吉田兼好は徒然草に書き記しました。
「鳥部野・舟岡、さらぬ野山にも」
「送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし」
船岡山付近は葬送の地だったのですね。
「若きにもよらず、強きにもよらず」
「思ひかけぬは死期なり」
そうですね!
全ての人の一瞬先に死の渕が口を開けています。
「今日まで逃れ来にけるは、ありがたき不思議なり」
船岡山に立って
送り火を見ているなんて
ありがたき不思議。
(敬称略)
なごんちゃん(清少納言)が枕草子に
「岡は船岡」と書いたところ。
平安京の朱雀大路の真北。
京(みやこ)の建造時の測量の基準点かも。
四神相応思想で
この山を玄武にあてたと聞きましたが
あんまり大きな山でもないので
どうでしょうか。
五山の送り火の日(2015/08/16)です。
夏休み・盆休みで
良識人は旅行だの帰省だの墓参りだのと
狭い車内に長時間缶詰になって
まるで!
夏季に課せられた難行苦行をしているかのようです。
私は難行する機会に恵まれないので
この山で「行」を!座禅でもしようかと。
「でも」つきです!不謹慎ですみません。
炎天下でも降雨の中でも動かず
昼過ぎから送り火点火の 7 時間ばかり
静かに座っていましょう。
午後 1 時過ぎ。
もうきている人が数人いますね。
五山(6 峰)全部が見えるという丘です。
ま!鳥居形だけはシロートには無理かも。
そこは!よほどのツーしか知らない
狭いポイントらしいのですが。
屋根のある休憩所の角に
本陣を構えたいと思います。
「大文字」と「妙」「法」が正面に見えます。
5 歩前に出れば「舟形」
3 歩横に動けば「左大文字」の見える好位置です。
どハデな柄のベッドと脚立を出します。はは。
水とバゲットは昼夜兼用の食糧です。
船岡山にはときどききているのですが
五山の送り火を見にきたのは
1 度だけだったような。
そのとき!雷雨に打たれました。
こけつまろびつ!
ほうほうの体で建勲神社横を下ったような。
だれと?!
忘れました!大昔ですから。
思い出したくても思い出せないことと
思い出したくないのに思い出してしまうことの
ふたつに苦しめられます!人生は。
そして
ここにいえない人は前者ではありません。はは。
通り雨がきました。
バラバラでいた人が
私のいる屋根の下に避難してきました。
なんと!
日本の女の子とばかり思っていた人が台湾の人。
日本の可愛い童女風な子が
英語ではなしかけてきます。
その他!アジア人多数。
イタリア人のひとり旅の青年が
日本語で語りかけてきます。
その他!西洋人多数。
外国の人ばかりでしたか。
確実な日本人は富山からこのために
夜行バスできたおじさんくらい。
雨は降ったりやんだり。
「少々の雨でも大丈夫」
「必ず点火しますから待ちましょうね」と
日本語でみなさんを励まします。
たぶん!
励ましたことにならなかったと思いますが。
嵯峨徳子著/京都大不満/によると
京都人は「五山の送り火」なんて呼ばない!
昔は「大文字焼き」といっていたそうな。
今でも「大文字」と呼ぶそうな。
年中!由緒ある名代の行事に囲まれている京都人にも
「大文字」の日は落ち着かないとか。
祇園祭から「大文字」までが
京都人がそわそわして
気にかける夏のようです。
たとえば!「時代祭」は
昔からの行事ではないので
観光客のようには関心がないらしい。
「葵祭」は
大昔から現在まで庶民は蚊帳(かや)の外かも。
蜻蛉日記にあるように(拙ブログ 2015/05/15)
場所取りに奔走するのは貴族だけだったのでしょう。
座禅は簡単に撤回して
そわそわもしないで寝ていましたが。
涼しい。
蚊もどこかへ行きました。
午後 5 時。
少しは増えましたね。
午後 7 時。
ぎゃっ!いつの間に大勢の人。
ふり向けば後ろにも。
ところが
この後 1 時間に
このなん倍もの人が詰め込んできたのです。
午後 8 時。
正面の「大文字」点火。
5 分後「妙」と「法」が浮かびました。
8 時 10 分。
「舟形」だという声。
が!大変。
群衆に囲まれていて 1 歩も前に出られません。
無理やり前に出るものの
全体像の見える場所には行けません。
さらに 5 分後の「左大文字」も大変。
しかし「左大文字」はすぐ近くですから
ちょっとどちらかに割り込めば
手に取るように近くに見えましたが。
吉田兼好は徒然草に書き記しました。
「鳥部野・舟岡、さらぬ野山にも」
「送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし」
船岡山付近は葬送の地だったのですね。
「若きにもよらず、強きにもよらず」
「思ひかけぬは死期なり」
そうですね!
全ての人の一瞬先に死の渕が口を開けています。
「今日まで逃れ来にけるは、ありがたき不思議なり」
船岡山に立って
送り火を見ているなんて
ありがたき不思議。
(敬称略)
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