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年末の新熊野詣で [平安京有情]

どうしてこうなったのか不思議ですが
JR奈良線と
京阪本線がからみあっています。
寄り添うとか!接近するとかではなく
撚(よ)れて!からんでいます。

そこにある駅
東福寺駅(両線ともあります)から歩きます。

この周辺には東福寺と
泉涌寺(せんにゅうじ)を中心に
たくさんの塔頭と寺院が集中しています。

というのは
このあたりは京(みやこ)の葬送の地。
鳥部野(とりべの)と呼ばれてきました。

今!豊臣秀吉の墓所がある
阿弥陀ケ峰(あみだがみね)の北西あたりに
庶民の遺骸が捨てられていたらしい。
その場合は「鳥辺野(とりべの)」と書くとか。

南西一帯は高貴な人の
陵(みささぎ)や墓所が集中しています。
そこを指すときには「鳥戸野(とりべの)」です。



駅からすぐの萬寿禅寺。
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姿のいい寺院ですが非公開です。

泉涌寺道をたどります。

お地蔵さまの祠(ほこら)ですか。
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路傍の祠にしては立派な。
ん?!
お地蔵さまは外にぽつんと置かれています。
可哀そうじゃないですか。
中には阿弥陀如来のような仏像が。

泉涌寺には入山しません。
拝観料がいるから。
仏教美術にも古い建造物にも興味が薄く
なによりも信心のかけらもないものには
たいくつですから。

横からながめます。
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逆光でまぶしく!叱られているようです。はは。

瀬戸内寂聴は
門番が威張っているといっていましたね。

威張りたくもなりますね。
マナーが悪い観光客が押し寄せるようになったから。
特に目立つのは外国人が多くなりました。
儒教の国という韓国の人でも常識が違いますからね。
中国の人はもう!宇宙人みたいですからね。

ここは「みてら」と呼ばれているのです。
天皇陵が 10 以上集中しています。
だから門番さんは
心してお参りしてほしいと思っているのでしょう。

陵といっても養老令にある
「山のごとく陵(おか)のごとし」の墳墓ではなく
火葬して小さな墓所におさめられていますが。
たぶん!
経済的に苦しい時代の帝王が多いのでしょう。



すぐ横の善能寺祥空殿に入ります。
泉涌寺の塔頭なんですが
いつも無人で境内が開放されています。

日本最初の稲荷大明神だそうです。
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泉涌寺は空海の草庵が起源らしいので
真言宗なんですね。

真言宗の高野聖(こうやひじり)と稲荷信仰が
タッグを組んで布教していた時代があったそうですが。
その嚆矢(こうし)だといったら変ですか。

やはり泉涌寺の塔頭の来迎院。
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静かです。
赤穂浪士の大石良雄のゆかりの品があるとか。
それは私には興味がありませんが
庭園がみごとです。
もうすぐ新年になると参詣客でいっぱいなので
この季節が鑑賞にいいかも。



今熊野(いまくまの)観音寺。
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やはり年末は静寂の中。

「去年今年(こぞことし)こたつの猫のようなもの」

あ!即興句(句といえるかどうか)ですよ。
年末年始のけじめのないものはノーテンキで
いつもながめるだけの塔に上ってみます。

わ!骸骨?!
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塔を仰いでカメラの向けたら
ディスプレイに白い手が降りてきました。

びっくりしました!
風に吹かれたススキの穂でしたが。
「ゆうれいの正体見たり枯れ尾花」を
地で行くような間抜けさ。

心に卑しいことや不埒(ふらち)なことがあるから
怯(おび)えるのでしょうね。ああ。



東大路通りに降りてきたら
大きなクスノキ(楠)があります。
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新熊野神社だそうです。
「いまくまのじんじゃ」と読みます。
先ほどの「今熊野観音寺」も
昔は「新熊野観音寺」と書いていたとか。

クスノキはただの樹木じゃないんですね。
「大樟大権現(くすのきだいごんげん)」という
ご神体でしたか。

ん?!
後白河上皇(1127 ~ 1192)が
熊野から持ってきて植えたとか。
すると!樹齢は 800 年!?

後白河上皇はあっちについたり!こっちについたり
引退したかと思ったら
また日の当たるところを求めてきたり
まぁ!都合にいいなまくら人生のようでしたが
このときには平清盛に頼んで
熊野から土砂や材木を運んできて
熊野本宮を地形ごと再現しようとしたらしい。

熊野は遠いですからね。

後白河上皇が集成した梁塵秘抄にも

熊野に参らむと思へども
徒歩(かち)より参れば道遠し
すぐれて山きびし
馬(むま)にて参れば苦行ならず
空より参らむ羽たべ若(にゃく)王子

なんて歌がありますが。



ぶらぶらと歩いていると全国に
「宇佐八幡宮」と
「天満宮」と
「熊野権現」の関係の神社が多いような。

統計を取っていっている訳ではないのでご容赦を。

「宇佐八幡宮」も「熊野権現」も
辺境の地の神じゃないですか。
不思議です。

神武天皇は辺境からきた英雄という
「古事記」「日本書紀」の傍証に当たるのかも。
記紀はまったくの
うそばかり記述している訳じゃないのですよ!たぶん。

あ!神さまですか!仏さまですか。
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左から「かぐつちのかみ」「はにやまひめのかみ」
右はやはり「かぐつちのかみ」だそうですが。

仏教でいえば「文殊菩薩」「毘沙門天」
そして「普賢菩薩」と
対照表にしてくれています。

はは。
なにがなんやら。



(敬称略)
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