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雪の多武峰 談山神社から [野道!山道!恋はけもの道!]

日本列島は大雪だそうな。
いつもはあたたかいらしい
(行ったことがないので知りましぇんが)
九州でも記録的な大雪と巷のうわさ。

沖縄県に降雪があった(2016/01/24)というのに
わが家にはない!
どうして降らないのだ!大阪市には!不公平です。

場末の安居酒屋なんかで
風が少し吹いたくらいで
受け売りの知識をひけらかして心配している連中に
「都会には災害がよく似合う」といって
ひんしゅくを買ったり!
けんかを売られたりしているので
いいたくはないのですが
「大阪市には降雪がよく似合う」と思います!
ホント!

みんなきれいに白くおおってくれますから。

なん日前からか忘れましたが
わが家のベランダのバケツの水が凍ったまま。
今朝(2016/01/26)の桃ケ池も結氷しています。
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しかし!雪はありません。

よっし!雪を探しに行くよ。
仕事は山積!
クライアントは門前市を成しているけど。
ま!冗談はそれくらいにして。



きゃっほ~!
いきなりですが!雪です。
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多武峰(とうのみね)です。
談山(たんざん)神社の東大門に着きました。

奈良県桜井市の山の中にきました。
積雪ですべる参道。
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でも!談山神社の
冬姿の樹木には雪が全然のっていません。
遠くから雪のない十三重の塔を拝みます。
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談山神社は
唐から帰朝した
定恵(定慧)(じょうえ 643 ~ 666)が
天武天皇 7 年(679)に
父の藤原鎌足(614 ~ 669)の遺骸を
ここに移して建立した寺院。
ということになっていますが。

定恵は父より先に死んでいるのですが。

京都大学の地震観測施設の建設中(1934)に
大阪府茨木市と高槻市の境にある阿武山で
藤原鎌足の完全な遺体が発見されています。
ほぼ 100 %鎌足の遺体だといわれていますが。

ということは!
遺体は移されていません。

そして!
今は寺ではありません。
明治になって神社になったそうな。

面白いことだらけです。
もう!なにがなんやら。



今日は拝観料を出す気にもならず通り過ぎます。

北に下ります。
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雪はいいなぁ。
だれかが歩いています。
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足跡の判定の本を持ってきたらよかったなぁ。
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タブレットでも買おうかなぁ。
あれば検索に便利そう。
ま!買おうかなぁ!と思うだけですがね。

きれいな棚田!と思って歩いていたら
すべってころびそうになりました。
ふり返れば結構急坂じゃないですか。
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雪の中に赤い色。
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頑張って咲いてね。



里にはまったく雪がありません。

聖林寺(しょうりんじ)が民家の向こうに見えます。
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和銅 5 年(712)に
定恵(643 ~ 666)が創建したといいますが。
定恵は死んでからいろいろしていますね。

藤原鎌足の死後
次男の藤原不比等(659 ~ 720)の画策で
それから近代まで
朝廷のほぼ 100 %
藤原氏の「血」が浸透するようになりますが。

藤原道長をほめそやす大鏡に
藤原不比等は
中大兄皇子(天智天皇)のこどもとありますが。

それに長男も!?
定恵の実の父親は孝徳天皇とどこかにありましたね。

藤原鎌足の「血」は
阿武山に眠るだけの存在でしょうか。



私にはなぞだらけですね。
それもこれも
やっぱり
雪で真っ白に隠される景色が好きです。
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