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せこい都知事の貴族のまねごと [不謹慎ですが、、、]

どこかのデカダン国の某都知事の
公私混同の金づかいが話題になっています。

公私混同も情けないことですが
なにより回転寿司等の家族の飲食代などを
政治資金として計上する
その「せこさ」にあきれられています。

そうとう「お育ち」が悪いのか
生来!品性が劣悪なのか
ただただ笑わされます。

週刊文春(2016/6/2 号)に
あちこちで指摘された「せこさ」を
ごていねいに表にまとめていましたが
まとめてみるほどたくさんあるのですね。

こんなやついるんですよね!
悪い意味の成金野郎。

王さまは不要!
貴族階級は地球上からなくせ!と叫んで
底辺の大衆を扇動して
王さまも貴族も始末してしまった輩がいますが。

なんと!その後
いつのまにか自分が
王さまや貴族になっていたりして。

近隣のならずものの国には
少なからずいるようですが
貴族の生活は快適なんですよ!きっと。
やってみたいものです。

「海外“大名”出張」やら
公用車で別荘通いやら
某都知事も貴族生活を享受していますなぁ。

まさにその地位に行くまでに
攻撃してきたことは
潜在的に大好き!
したかったことだったのですね。



貴族のまねごとといえば
たくさんの「女」と関係を持っていますね。

妻(元・現)は 3 人。
愛人(元・現)は 2 人。
こどもはあちこちに 5 人でしょうか。
複雑過ぎて
艶福家というよりスケベ過ぎて
よく数えられませんが!まだ多いのかも。

もし!
平安時代の貴族なら不思議じゃないでしょう。
貴族を目指しているのなら
すごく当然な!いや少ない女性関係ですかね。



平安時代の貴族社会には
「妻」と「愛人」の
区別なんかあったのでしょうか。

貴族の頂点を極めた藤原道長は
藤原兼家(929 ~ 990)の正室の
時姫が産んだと
「大鏡」の訳文なんかには書かれていますが
その時代には正室も側室も区別はないような。

たまたま道長という幸運児の母で
兼家の子を一番たくさん産んでいるということは
兼家の一番のお気に入りと推察されて!
よって正室と考えられているような。

平安貴族は
男が女の元に通う妻問婚(つまどいこん)だと
義務教育でも習います。

妻の家は
通ってくる婿殿の面倒をみると聞きました。

食べることも着ることも。
生まれたこどもの養育も。
婿殿の出世のための資金もまんじゅう代も。



あれ!?
妻になる女!つまり娘に親がいますね。
父親と母親。
その親も妻問婚で娘をつくったのなら
どうして!いっしょに暮らしているの?!
父親は通うだけじゃないの!?

兼家は妻という名のなにびととも
終世同居しなかったようですが
他の貴族には
「北の方」なんて記述があるので
いつか!
妻やこどもを呼び寄せるのでしょうか。
みずからが
かの女の家に引っ越すのでしょうか。

このあたり詳細に教えられたら
「歴史」の勉強にも
興味が湧いたと思うのですが。

どうも!日本の教育は
勉強嫌いを助長するように
しかけられていますね。
特に私には。はは。



その時代には
「三日夜(みかよ)の餅」とか
「露顕(ところあらわし)」とか
いちおう結婚(!)の儀式はあるものの
男が通ってこなかったらおしまい!
別の男がきたら受けいれるほどの
「結婚」だったのでしょうか。

一婦多妻のようで
一妻多夫だったのかも。

某都知事は
そんな貴族にあこがれていたんでしょうね。

だから!カネにも汚いのかな。
女性宅に通う婿殿の心境?!
目前のカネはもらってもいいと。
人のものは自分のもの。
自分のものは自分のもの。



あ!
これは遠い国の「せこい」おはなし。
特定の人の悪口じゃない!つもりです。
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