梅小路公園に梅の咲くころ [平安京有情]
「大念仏狂言」で有名な
京都市中京区の壬生寺(みぶでら)です。
このあたり
壬生浪士組!すなわち
新撰組(新選組)の史跡だらけ。
墓所もあちこちに。
JR山陰本線(嵯峨野線)沿いに南下すれば
大きな公孫樹(いちょう)の樹。
花街だった島原(嶋原)ですね。
風景がやけにこざっぱりしていますが
ああ!置屋だった
輪違屋(わちがいや)は健在ですから
やっぱり!島原ですね。
揚屋(あげや)だった角屋(すみや)は
一般公開されています。
もちろん!有料です。
京都市内を走行していた車両が。
梅小路公園に着きました。
京都鉄道博物館があります。
よいこは
こんな柵のすき間からのぞいてはいけません。
ちゃんと入り口から入館料を払って
入ってくださいね。
市電が 4 両固定されています。
「市電カフェ」「市電ショップ」と
無料休憩所になっています。
「いのちの森」や「河原遊び場」の林床に
クマザサがたくさん。
いい景色じゃないですか。
芝生広場の南の梅林。
春がきています。
梅小路公園ですから「梅」がなくてはね。
芝生と梅林ですか。
白梅の 老木のかげの くつきりと
動かぬ芝に たんぽぽ咲けり
牧水の歌。
この歌人の歌はどれもどこか寂しい。
京都駅に向かいます。
粟嶋へ はだしまいりや 春の雨
あわしまさん(粟嶋堂宗徳寺)に
与謝蕪村(よさぶそん 1716 ~ 1783)の句碑が。
芭蕉に傾倒して
一生!放浪していたような印象がありますが
晩年は京都で過ごしていたのですね。
粟嶋堂とは
粟嶋大明神を祀るお堂。
寺院に神さまが?!
よけいなことを考えるのはやめますが。
その「あわしまさん」は
女性を守る神さまらしい。
蕪村は老いてから結婚して
1 女をもうけています。
その娘のために
「裸足詣り」をしたようです。
フツーの親なんですね。
蕪村は毛馬村(けまむら)で生まれ
20 歳になる前に出奔し
2 度と帰省はしなかったと聞きます。
今は大阪市を流れる新・淀川の河底に
毛馬村があったそうですが
蕪村は大坂にきても!通過しても
村には帰らなかったので
肉親の情はない人だと思っていたのですが
娘に対する情はあったのですか。
蕪村の辞世の句は「梅」でした。
しら梅に 明(あく)る夜ばかりと なりにけり
京都市中京区の壬生寺(みぶでら)です。
このあたり
壬生浪士組!すなわち
新撰組(新選組)の史跡だらけ。
墓所もあちこちに。
JR山陰本線(嵯峨野線)沿いに南下すれば
大きな公孫樹(いちょう)の樹。
花街だった島原(嶋原)ですね。
風景がやけにこざっぱりしていますが
ああ!置屋だった
輪違屋(わちがいや)は健在ですから
やっぱり!島原ですね。
揚屋(あげや)だった角屋(すみや)は
一般公開されています。
もちろん!有料です。
京都市内を走行していた車両が。
梅小路公園に着きました。
京都鉄道博物館があります。
よいこは
こんな柵のすき間からのぞいてはいけません。
ちゃんと入り口から入館料を払って
入ってくださいね。
市電が 4 両固定されています。
「市電カフェ」「市電ショップ」と
無料休憩所になっています。
「いのちの森」や「河原遊び場」の林床に
クマザサがたくさん。
いい景色じゃないですか。
芝生広場の南の梅林。
春がきています。
梅小路公園ですから「梅」がなくてはね。
芝生と梅林ですか。
白梅の 老木のかげの くつきりと
動かぬ芝に たんぽぽ咲けり
牧水の歌。
この歌人の歌はどれもどこか寂しい。
京都駅に向かいます。
粟嶋へ はだしまいりや 春の雨
あわしまさん(粟嶋堂宗徳寺)に
与謝蕪村(よさぶそん 1716 ~ 1783)の句碑が。
芭蕉に傾倒して
一生!放浪していたような印象がありますが
晩年は京都で過ごしていたのですね。
粟嶋堂とは
粟嶋大明神を祀るお堂。
寺院に神さまが?!
よけいなことを考えるのはやめますが。
その「あわしまさん」は
女性を守る神さまらしい。
蕪村は老いてから結婚して
1 女をもうけています。
その娘のために
「裸足詣り」をしたようです。
フツーの親なんですね。
蕪村は毛馬村(けまむら)で生まれ
20 歳になる前に出奔し
2 度と帰省はしなかったと聞きます。
今は大阪市を流れる新・淀川の河底に
毛馬村があったそうですが
蕪村は大坂にきても!通過しても
村には帰らなかったので
肉親の情はない人だと思っていたのですが
娘に対する情はあったのですか。
蕪村の辞世の句は「梅」でした。
しら梅に 明(あく)る夜ばかりと なりにけり
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