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武庫之荘の数え橋 のがあったりなかったり [猫も歩けば棒立ち]

阪急・武庫之荘駅(兵庫県尼崎市)の北口。
駅前ロータリーの一角に
「一の橋 二の橋」の文字を発見。
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川があります。
川といっても小川かな。
コンクリートで固められた
情緒のまったくない溝のような川。

北へたどれば「三の橋」
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つづいて「四の橋」
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「五の橋」
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なんの変哲もない橋がつづきます。

「六の橋」
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「七の橋」
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「八の橋」
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どこまでつづくのやら。

「九の橋」
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「十の橋」
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「十一橋」
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橋の名前から「の」がなくなりました。
水門があります。

「十二橋」
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「十三橋」
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「十四橋」
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こうなりゃ!
行けるところまで行きますよ。

「十五橋」
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「十六橋」
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「十七橋」
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「あ!そのままで結構です。

立っていた上品な刀自が
あわてて移動してくれました。

「数え橋を撮っているの?」
「十七橋でおしまいよ」

「ご教示ありがとうございます。



これ「数え橋」というのですか。
ああ!あれですね。


「うちの裏の せんざいに
「スズメが 3 匹とまって
「1 羽のスズメの いうことにゃ
「おらが在所の 陣屋の殿さん
「狩り好き酒好き 女好き
「わけても好きなが 女でござる


殿さまの女好き(?)の歌。

あ!これは「数え橋」じゃなく
「数え歌」でしたね。
「鬼首村(おにこべむら)」の
「手毬唄」でした。

どうしてこんな歌詞を思い出したんだろ?
脳細胞の破壊が顕著です。

どうでもいいことですが
メロディのつけにくそうな
荒っぽい詩ですね。



数え橋にもどりましょう。

武庫之荘の数え橋は大変古いものだとか。
昭和の初めに
阪急電鉄(当時の社名は違いますが)が
宅地を造成して売り出したときに
架けた橋だとか。

少し疑問があります。
それはそうかも知れませんが
「一の橋」とか「七の橋」とかの「の」!
阪急の事実上の創業者の小林一三は
漢字とひらがな・カタカナ混じりの命名を
嫌っていたのでは。

だから「一橋」か
「の」を入れるとしたら
「一乃橋」とか
「武庫之荘」にならって「一之橋」とか
漢字の「の」を使うのでは。

十一橋から十七橋のように
初めの 10 橋も「の」はなかったのでは?!

現在!書き直すときにつけ加えたのでは!?
なんの根拠もなく推察いたします。



今はそれら十七の橋の間に
たくさんの橋が架かっています。
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京都の白川のような勝手橋でしょうか。

白川の橋は
勝手に架けると課税されますが
尼崎市ではどうなんでしょう。



(横溝正史著/悪魔の手毬唄/)参照
(敬称略)
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