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つつじの鳥見山 初瀬ダム [野道!山道!恋はけもの道!]

近鉄・榛原(はいばら)駅から
山に向かって歩きます。

棚田の初夏。
blog01鳥見山.jpg

(奈良県)榛原町の文字が散見しますが
この町はもうひと昔以上前に消えています。

この前にきたときはその消滅より
まだひと昔!ふた昔前のこと。
私が大阪に流れてきて間のないころ。

なん度か歩いているコースですが
まったく初めてのような印象しか湧きません。
記憶力が悪いことと
人の尻について歩いたら無責任そのもの。

「春日宮天皇妃陵」の案内板がありました。
聞いたことのない天皇と妃です。

暗い山中を分け入り!進めば!?
blog02鳥見山.jpg

急階段の長い長い参道がありました。
上の画像は陵のところ
振り向けば延々と下がっています。

「光仁天皇御母贈皇太后橡姫」
「吉隠陵」とあります。
光仁天皇の父が春日宮天皇なんですか?!
その妃ということで
「春日宮天皇妃陵」と書かれていたのですか。

春日宮天皇とは「追尊」ですか。
手元の「天皇家系譜」にありませんがね。

「贈」とか「追尊」とか
なんだか皇国史観バンザイの時代に
光仁天皇の出自を飾るために
無理から作ったような。



鳥見山(とみやま or とりみやま)公園です。
blog03鳥見山.jpg

公園中に赤い花。
blog04鳥見山.jpg

もうすぐ
「つつじ祭り」(2018/05/06)だそうですが
そのときには
もっと赤く染まった山になるのでしょうか。
blog05鳥見山.jpg

それとも今年は
早く咲いてしまったのでしょうか。



日本書紀に神武天皇 4 年 2 月
霊畤(まつりのにわ)を
鳥見山に立てたとありますが
それはここだと榛原町は
いや!今の宇陀市は主張していますね。

今の橿原神宮のあるところに
宮を造っていたのなら
地図上直線で 10 数キロは離れていますがね。

橿原神宮から 7km ばかりの
桜井市の鳥見山もうちだと主張しています。

私的には桜井市のほうに心が動きますが。

距離的に近い。
山麓に等彌(とみ)神社が現存しています。
東征して最初に落ち着いた里です。
神武天皇の名前に「いわれ」が入っています。
日本書紀では「神日本磐余彦天皇」
(かんやまといわれひこのすめらみこと)
古事記では「神倭伊波礼毘古命」
(かむやまといわれびこのみこと)
桜井市はその磐余(いわれ)の里です。



東海自然歩道をトレースして
初瀬(はせ)ダムを目指します。

高束(たかつか)城跡に上がります。
blog06高束城跡.jpg

なんにもありません。
戦国時代に落城していますから。

かすかに思い出しました。
私をアゴで使うおね~さん方と
ここで休憩したような。

また!酒好きなおじさんとも通過したような。
最近知ったのですが
その人はいつの間にか鬼籍に入っていましたね。

その他のみなさん!ご存命でしょうか。
強いて知りたくはありませんけどね。

わ!すべる~!
blog07初瀬ダム.jpg

急坂に石畳!
石段のほうがいいですよ。
数百メートルもつづいて難儀します。
やめてください!

忠犬が勇ましく吠えてくれます。
blog08初瀬ダム.jpg

人家に出ました。
眼下に初瀬ダムの貯水池・まほろば湖が
にぶく光っています。

高おがみ神社の境内の下(?)をくぐります。
blog09初瀬ダム.jpg

「石の道!大丈夫でしたか?」

神社で掃除の
ご奉仕(?)されていたおじさんが
声をかけてくれます。

やっぱり!不評なんですね!あの道。

東海自然歩道は各県が整備していますが
奈良県が張り切って石を敷いたそうな。



東海自然歩道は
まほろば湖の右岸に設定されていますが
私はくるまの少ない左岸を歩きます。
blog10初瀬ダム.jpg

おおかみ谷の鉄の橋。
blog11初瀬ダム.jpg

大昔から錆びた色でしたが
落下もしないで!まずはめでたし。

バシャバシャ!
だれかおぼれて助けを求めているような!?

あ!カワウですかぁ!
blog12初瀬ダム.jpg

カワウがメス(たぶん)の気をひこうと
大きな音を立てています。
必死ですね!恋は大変ですね。

初瀬ダム。
blog13初瀬ダム.jpg

のぞけば。
blog14初瀬ダム.jpg

見上げれば。
blog15初瀬ダム.jpg

行く先々で藤の花が咲いていましたが。
blog16初瀬ダム.jpg

おなじような色のようで
それぞれ少しずつ主張が違うような。
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