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ヤマユリとササユリ 神武天皇は寝た [いわなが姫の丑の刻参り]

先日「大阪 舞洲(まいしま)ゆり園」で
たくさんのユリの花を
楽しみました。(拙ブログ 2018/06/22

そのとき
古事記の「さい」を思い出したのですが。

そもそもは神武天皇が
伊須気余理比売(いすけよりひめ)と
生殖活動を行ったのですね。

あのね!私がいうと
誇張した卑猥(ひわい)ばなしと思われ
しばしばひんしゅくを買いますが。

「一夜宿った。(安本美典訳)

「一夜ともに寝た。(福永武彦訳)

ね!
私のことばのほうが学術的(?)でしょ。

その伊須気余理比売の家が
狭井川(さいがわ)のほとりにあったのです。

「さい(佐葦)」がいっぱい咲いていたので
「さいがわ」ですって。

じゃ!「佐葦」と書けばいいのに
「狭井」とはこれいかに?!

それはまた別の機会に考えるとして
「さい」は

「山百合」(安本美典訳)

「山百合草(やまゆりぐさ)」(福永武彦訳)

だそうな。

ちなみに
「主婦と生活社/古典コミックス・古事記」では
たしかに「ヤマユリ」の絵が描かれています。



その神武帝の「現場」に行きます。

あれ?!カギがかかっています。
blog81大神.jpg

奈良県桜井市の
大神(おおみわ)神社の「ささゆり園」ですが。

あ!?
「6 月中旬」までとなっています。
「6 月中」かと思っていました。

フェンスの間からのぞきます。
blog82大神.jpg

イノシシに球根を食べられないように
フェンスで囲っているのですね。

やはり!花の季節は過ぎています。



大神神社の摂社の狭井神社に行ってみます。
blog83大神.jpg

「狭井(さい)」がついていますが
ユリのはなしはありませんね。

大美和の杜展望台に上ります。
blog84大神.jpg

大鳥居の向こうに耳成山か
畝傍山かが見えます。

反対側には
大神神社の神体山(しんたいさん)の三輪山。
blog85大神.jpg

大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が
鎮まる山ですね。

唐突ですが
美人が厠(かわや)で用を足していたのです。
「かわや」はことば通り
「川」の上に造られている「屋」だそうな。

大物主は矢に化けて上流から流れて下り
かの女の陰部を刺したのです。

それで生まれたのが
伊須気余理比売(いすけよりひめ)でした。

その川は狭井川ではありません。
三島(今の大阪府の北部)にあった川だそうな。

その摂津の三島生まれのかの女が
成人して大和の桜井に住んでいたのはなぜか!
なんて!たとえば授業中なんかに質問すれば
答えられないセンセーに
嫌われますからやめましょう。

ま!ほと(陰部)を刺すはなしが
授業にあるのかどうかは知りませんが
ともかく歴史があるのです。



大美和の杜展望台と
大神神社末社の
久延彦(くえひこ)神社の間にも
「ささゆり園」がありました。
blog86大神.jpg

ここも季節は過ぎていますが
ここには花がいくつかは残っています。
blog87大神.jpg

ああ!ササユリですね。
blog88大神.jpg

ん!?
ヤマユリを見にきたのでは?!

ササユリは白とかピンクが強いとか
変異は多いかも知れませんが
ヤマユリとは違うような。

それは近代の学問上のことで
山に咲くユリはみな
ヤマユリと呼んでいたのかも。



「ささゆり園」を下って行けば
小さな川がありました。
blog89大神.jpg

狭井神社のほうから流れてきているので
「さいがわ」でしょうか。
とてもユリが群れ咲いていたり
恋人たちが命の火を燃やすような
ロマンが感じられませんが。

神饌田(しんせんでん)が見えます。
blog90大神.jpg

この川の水を利用しているのか
しろかきが終わっています。

御田植祭(2018/06/25)ですか。
blog91大神.jpg

早乙女ばかりでしょうか。
男性も混じっているような。

ちょろちょろとあらぬ方向で動く
自称カメラマンが叱られていましたが。

私もこんなところからのぞいて
すみません。

妙にかしこまって神事を催行していますが
古事記の昔にさかのぼれば
神も天皇も
おおらかに「性」を「人生」を
享受していたような!
といえば!不謹慎と怒られますか。

すみません。



(敬称略)
タグ:古事記
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