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オカマ時代があった?! [活動写真]

「オカマ時代」を生きてきたと
オカマが 4 人
酒を飲んで談笑していました。

映画「わたしの居場所」
通天閣の下で生きてきた
オカマの「ひろ子ママ」の
ドキュメンタリー映画です。

もちろん!
かれら!いや!かの女(!)らは
蔑称(に近い!)とも承知の上で
かなりの誇りを持って
自らを「オカマ」と呼んでいます。

エラいですね!
よく分からないままにいうのですが。

男性が女装をして
男性と恋をしたり
Sex(性行為)をする人を
オカマと定義しているようです。

オカマは化粧して
女装しなければなりません。
化粧しないで
男性が男性と Sex をするのは
オカマではないようです。

それはともかく
「オカマ時代」ということばが面白い。

ひろ子ママは
昭和 35 年(1960)に
中学を卒業したといいます。
blog71ひろ子ママ.jpg

そのかれら!いや!かの女らが
20 代 30 代だったころを
「オカマ時代」と呼ぶ!?
呼びたいのでしょうか。

その前は
「女形(おやま)」時代?!
その後は「ニューハーフ」時代!?
いや!私の思いつきだけで
たぶん!違うでしょう。
その道の
専門家に尋ねなければなりますまい。

さらに
今はどう呼んだらいいのでしょう。



ひろ子ママが
鹿児島から集団就職で大阪にきたころは
通天閣の下!通称・新世界は
オカマのメッカだったそうな。

オカマバーにスカウトされ
化粧して人前に立つのが
天職と知ったのですね。
40 歳のときから
お好み焼き「千両」を経営してきたとか。
blog73千両.jpg

それから 30 年経過して
癌(がん)になったのです。

そして望郷です。
52 年間!鹿児島に帰郷していないのです。



昔の中国には
なんと望郷の詩の多いことでしょう。

江碧鳥愈白
 こうはみどりにして とりはいよいよしろく

山青花欲燃
 やまあおくして はなもえんとほっす

今春看又過
 こんしゅん みすみす またすぐ

何日是歸年
 いずれのひか これ きねんならん

杜甫(712 ~ 770)の詩。

はるかかなたに赴任したり
戦乱の中だったり
望郷の詩には
ままならぬ背景があるのですね。

そうですね!
ひろ子ママも
いずこの望郷の士も
戦っているのですね!たぶん。
みんな!
なにかと戦ってきたのでしょうね。



「ひろ子ママ」は
化粧をしないで
半世紀ぶりに鹿児島に帰りました。
blog72ひろ子ママ.jpg

化粧して帰ったらいいのにね。

懐かしいのでしょうか。
故郷はあたたかいのでしょうか。

私は
故郷は心の中にあればいいと
思うのですが。
帰らないほうが
いつまでも色褪せないと
思うのですが。

今住んでいるところが
故郷でいいと思うのですが。

ひねくれているとよくいわれるので
望郷のはなしは!まずしません。



罹病のため「千両」は
閉鎖しているのかと思っていたのですが。
blog74千両.jpg

たまたま!今!休んでいるだけですか。

オカマのメッカだった新世界
現在は凋落(ちょうらく)して
しまったのでしょうか。

そうだとしたら
どこがメッカになっているのでしょうか。
ま!強いて知りたくもないですがね。

この映画を作った武田倫和監督は
まだお若い方なんですね。
blog75武田倫和監督.jpg

どうして
「オカマ」の映画を
撮りたいと思ったのでしょう。
ま!強いて知りたくもないですけどね。



(駒田信二著/漢詩百選 人生の哀歓/)参照
(敬称略)



(その後の千両は 拙ブログ 2021/06/15
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