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堺は鉄の町 鉄砲と刀剣から包丁へ [工場見学]

南海本線に乗って大阪市から大和川を渡り
堺市に入ったところに
大きな「イオン」の文字が見えました。

その前に不釣り合いに古そうな
レンガ造りの建てものが!?

ここには大きな工場があったような。
「レンガ造り」は記憶にありませんが。

その横の七道駅で下車して行ってみます。

ああ!イオンの前の
ダイセル堺工場にあった建てものでしたか。
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今!「赤レンガ館」と命名されて
イオンの一部になって
ピザのビュッフェをひさいでいました。

ここは「イオンモール堺鉄砲町」ですか。

わが街にも
イオンの製品を売っている店舗はあるものの
どんな定義のものが「イオンモール」か
「イオンスタイル」か知りません。

郊外の人が
この夏は「暑くて図書館がいっぱい!」
「図書館からイオンモールに移り」
「日がな一日」
「避暑している年寄りだらけでした」
なんていっていましたが。

なるほど。
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いたるところに
立派なイスが設置されています。



広い「フードテラス」です。
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避暑(?)していても食事に困りませんね。

「野菜取り放題!」!?
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「おこめとかれぇ野菜のお店 米田」
長い店名ですなぁ!
「10 種かれぇ野菜」(税抜き 790 円)!
いいじゃないですか!野菜好きには。

この器に好きなだけ入れろ!といわれても
おばちゃんが見ている前で
シャイな性格は手が震えますね。
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ちょっと遠慮して、、、損した気分。はは。

しばらくしてできあがりました。
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ああ!
カレーライスと早とちりしていましたが
カレー炒めかカレー煮といったところ。



七道駅前に放鳥銃定限記碑。
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寛文 4 年(1664)のもの。

なんのことかにわかに理解できませんが。
砲術家が恩師の賛辞と
鉄砲試射場の由来を記しているのだそうな。

堺は鉄砲生産地。
ここに海岸線(七道浜)が
延びていたのでしょう。
海岸は鉄砲の試射場だったのかな。

時代が下がって
そこにダイセルの工場ができたのかも。
間違っていたらごめんなさい。



堺鉄砲館に
いろいろな鉄砲が並んでいました。
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実戦用の足軽筒から装飾だらけの大名筒まで。

鉄砲の構造は伝来以来
今日までちっとも進化していないんですね。
江戸時代になって平和になったからか
研究・改良する意欲はなかったのでしょうか。

銃身に飾りとか
彫金とかに努力しても
撃つのになんの役にも立たないのに。

それは刀剣類にもいえることかも。

飾り立てることに腐心して
人を斬ることはどうなっているの?!

もし関ヶ原の戦いが 100 年遅れていたら
どうなっていたのでしょう。

宮本武蔵のような剣豪は現れず
剣道や弓道や剣客商売もなかったかも。

もし銃の世界になっていたら
鉄砲の劇的な変身が起きていたのでしょうか。

今回あらためて思ったことは非常に重い。
火縄銃を持つのは初めてではないのですが
こんなに重かったですか。



鍛冶の水野鍛錬所。
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刀匠が地金と鋼片を重ねて
あっという間に包丁の形にしてしまいました。
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手品のようです。

争いのない時代が長く
鉄砲や刀剣の製作者には大変な時代ばかり。

くじら(鯨)を切る包丁が
売れていたときもあったのですね。
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伝統技術もこれからどうなるのでしょうね。
工場見学(?)で
立ち尽くしたのは初めてです。
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