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ホントの重陽の節句 グミは新妻?! [桃栗残念!柿蜂の巣?]

先の 9 月 9 日
車折(くるまざき)神社で
重陽祭に出会いました。
拙ブログ 2019/09/10

陽数の九が重なるから重陽。

しかし!
新暦にあてはめていいものやら。

荊楚歳時記によると
「九月九日
「四民並びに野を踏んで飲宴す
といいます。

さらに
「茱萸(しゅゆ)をおび
「餌(じ)を食らい
「菊花の酒を飲まば
「長寿ならしむ
だとか。

「茱萸(しゅゆ)」とか「菊花」とか
新暦では季節が早過ぎていませんか。



「餌(じ)」はエサではなく「粉餅」の類。

引っかかるのは「茱萸(しゅゆ)」ですが。

王維の詩の
「茱萸はん(はんはさんずいに片)」に
その説明がありますが。

結実紅且緑
 みをむすべばあかく かつみどりにして
復如花更開
 またはなの ふたたびひらけるがごとし
山中儻留客
 さんちゅうにもし きゃくをとどめんとならば
置此茱萸杯
 このしゅゆの さかずきをそなえよ

「茱萸(しゅゆ)」の実は赤いのです。
その実を杯に浮かべるのでしょうか。
カクテルに入れるチェリーのように。

曹植の「浮萍(ふひょう)篇」の中に

茱萸自有芳
 しゅゆ おのずからほうあれど
不若桂與蘭
 けいと らんとには しかず

がありましたが。

「茱萸(しゅゆ)」の実は芳香があるとか。
ニッケイとかランには及ばないらしい。

そのすぐ後に
「新人愛すべしといえども
「もとのよろこぶところにしくはなし
とありますね。

新しい妻は可愛いけど
前の女性にはまさることはない、、、!?
なんのこっちゃ!
「茱萸(しゅゆ)」は新しい恋人?!

でもね!
新しいほうがいいぞ!
畳(たたみ)でもなんでも。



杜甫の詩「九日藍田の崔氏の荘」は

「酔うて茱萸をとって子細にみる

で締めくくっています。

茱萸(しゅゆ)はどこからとるの?!
頭に挿していたのをとるのでしょうか。

王維の詩
「九月九日山東の兄弟をおもう」には

「あまねく茱萸を挿して一人をかくことを

とあります。

故郷では兄弟みな
頭に茱萸(しゅゆ)を挿して
丘にのぼっているのに
自分ひとりだけがいないというのですね。

ということは
茱萸(しゅゆ)はかんざしのように
頭に挿せるものなんですね。



日本語では「茱萸」に
あまねく「グミ」とルビを打たれています。
「グミ」ではないのですが。
貝原益軒が「ぐみ」と
誤訳したのを信用して今日に至っています。

「茱萸(しゅゆ)」は「グミ」ではなく
「カワハジカミ」だそうな。

「カワハジカミ」は
「川薑」と書いてあったりしますが
「皮薑」が正しい(?)とも。

手元の事典には「カワハジカミ」はなく
「呉茱萸(ごしゅゆ)」という
和名でのっていますが。

事典には観賞価値は低く
薬用樹として江戸時代に渡来したと
解説されています。

貝原益軒(1630 ~ 1714)も
江戸時代の人ですが
まだ見たことがなかったのかも。



旧暦の
重陽の節句(2019/10/07)がきました。

グミかカワハジカミか
呉茱萸か理解の外ですが
私は「さんしゅゆ」が脳裏に浮かびます。

漢字で書けば「山茱萸」!

このブログの
プロフィールにのせている写真の
赤い実がそうですが。

これはどこかの国で
果実として改良されたものと
記憶していますが
もう大昔に入手したので来歴は忘れました。

長い間!鉢植えだったのですが
あるところに地植えしています。

ときどき無事かどうか気にかけています。

春先に
黄色い花をいっぱい咲かせていましたが
今年は結実が少なかったような。
blog1.jpg
   (2019/07/09)

長さは 20mm もありませんが
それでも
よそのサンシュユの実よりは大きい。

色づいてくるころにはたったひとつ!?
blog2.jpg
   (2019/08/29)

その実もだれかがかじった跡がついています。

それでも!食べられもしないでひと月。
blog3.jpg
   (2019/09/23)

赤くなってしわがよっています。

そして!重陽の節句前。
実は消えていました。



(宗懍著/荊楚歳時記/守屋美都雄訳注/)
(一海和義著/漢詩一日一首/)
(曹植/伊藤正文注/)
(駒田信二著/漢詩百選 人生の哀歓/)
(講談社/園芸百科大辞典/)参照
(敬称略)
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