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西の京の秋 2019 [南都有情]

西大寺。
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ここ 10 年!なん度もきているのに
近鉄・大和西大寺駅を出たら
一瞬!歩みがとまるのは
10 年以上前の記憶がよぎっているような。

私の西大寺の原記憶はふた昔前です?!
ふしだらな過去なんか
思い出したくもないので
浮かんでくれば
ただちに払しょくしようと努めますが。

最近!くるたびに
駅周辺の景色が違っているような。

あ!珍しいお姿のお地蔵さま。
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南門のそば。
この仏さまの記憶はありませんが。



行基が亡くなった喜光寺。
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ちなみに墓所は生駒山の
竹林寺にあります。(拙ブログ 2018/03/13
行基が
「母のそばで眠りたい」といったから。

エラい僧侶がホントにいったのやら。
だれかが忖度(そんたく)したのやら。

門前にコンビニ。
ここも風景が変化しているような。



大きな前方後円墳です。
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垂仁天皇陵に出ました。
宮内庁の呼び名は別にありますけどね。

11 代天皇。
記・紀ともに
大変な長命(およそ 150 歳)で崩御と
書き残しています。

架空!伝説の天皇!?
と思う人が多いようですが
私は実在した人を脚色して!
今のことばでいえば「盛って」!
盛りに盛って!誇張して書いたのでは。

私にはなんとなく感じます。
このブログでも
1 の事象を
1,000 くらいに引き伸ばして書きますもの。

古事記は天皇家の歴史書というのに
垂仁天皇も骨肉の争いや!
やたら殺戮(さつりく)ばかり。
そんな残酷なことがあったからでは。
まったくのウソなら
もっときれいごとを並べてもいいはず。

濠(ほり)の中の陪塚(ばいちょう)は
田道間守(たじまもり)の墓。
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でも!これ!本当に墓!?
濠の中というのは変ではないですか。

横の水中に垂仁天皇のなんとかと書いた
石碑があります。
人も近づけないところに!なんのために。

いいかげんな推察ですが
今は幅広い濠ですが
もともと 2、3 重の濠になっていて
その間に堤があり
その上に石碑を建てた人がいたのでは。

そうなら陪塚というのも怪しいもの!?
土手の残った高いところを加工したのかも。

水鳥が 1 羽。
ツカツクリの産卵床のようです。



柿の赤い実が目立つ季節。
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タチバナの実があります。

田道間守は
非時香菓(ときじくのかくのみ)を探しに
大陸に行ったとか。

持って帰った果実がタチバナらしい。

田道間守!たじまもり!タジマモ!
タチバナ!と変化したのかな。

横を近鉄が通り過ぎます。
南北に走る橿原線に沿って南に歩きます。



唐招提寺。
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大門越しに拝んで行きます。

郵便ポストの屋根はなんでしょう。
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養天満宮に行こうとすれば
近鉄にさえぎられます。
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玄奘三蔵院。
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薬師寺に着いたのですね。

ここのポストは赤くありません。
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さらに近鉄線沿いを進めば
薬師寺の西塔が見えます。
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あれ!?
東塔かな。よく分かりません。



大池から薬師寺や大和青垣を見ながら
発泡酒でも飲んで休憩。
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ああ!薬師寺の大屋根は東塔のようです。
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長い間修理中でしたが
大屋根を解体しているような。
工事完了が近いのかな。

この池は
万葉集や枕草子に出てくる勝間田の池に
比定されたりしますが。

今は否定されているとはいうものの
池はこのあたりにあったことは
確かでしょうね。
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