木喰仏のほほえむ秋 [猫も歩けば棒立ち]
兵庫県猪名川町に木喰(もくじき)仏が
26 体現存しています。
7 躯(体)ある毘沙門堂に。
木喰仏とは木喰明満上人が刻んだ仏像のこと。
どの仏さまも柔和なお顔です。
「微笑仏」とよばれています。
上人が自分の姿も彫刻しています。
つぎに 3 躯(体)ある天乳寺へ。
ここにも自刻像があります。
(寺子屋時代に悪い子が顔に墨を塗っています)
その背面を拝見します。
どの仏像にもそうですが
非常に細かいことを書き残しています。
日本千タイノ内作
天下和順
神通光明
(梵字)
明満仙人自刻像
九十才 (花押)
日月清明
カセイ大工與清 六十才
文化四卯歳四月九日
これによると
1,000 体製作するという目的あり。
1807 年 4 月 9 日製作。
90 歳のとき。
自分のことを明満仙人と名乗っています。
おそらく師からもらった名前ではなく
自分でつけた名前では。
木喰五行上人とか木喰明満上人とかも
使っていたようです。
名前のことといい
自刻像を作ることといい
自己顕示欲が旺盛なんでしょうか。
すごいですね。
そもそも
木喰(もくじき)とは固有名詞ではなく
木喰戒のこと?!
米!粟!ヒエ!麦!豆の 5 穀を断ち
煮炊きしたものを食べないという修行。
木喰明満上人(1718 ~ 1810)は
45 歳で木喰僧になったとか。
その時代!
人間一期を終えるときに木喰僧。
56 歳から日本全国を行脚。
北海道にも九州にも行っています。
60 歳から仏像を刻みだしたらしい。
目標 1,000 体!
文化 4 年(1807)90 歳のときに
ここ兵庫県猪名川町にきたのですね。
3 月滞在し
33 体の仏像を残しています。
初期のころには
月になん体も彫れなかったようですが
30 年経て 3 日に 1 体のペースですか!
等身大の大きなものが多いのに!
像の裏に
「カセイ大工 與清」とあります。
加勢する大工の与清を伴っていたのですね。
与清は六十歳!
これまたお年寄りですね!その時代では。
大工ひとりだったのか!
与清棟梁の下に集団がいたのか!
知る由もないそうですが。
東光寺に参ります。
ここには 14 躯(体)。
境内の立木に彫ったものも。
生木ですから表皮が成長して
像は木にとっては傷口ですから
覆い包もうとしていきます。
観音像が閉じかけていたとき落雷があり
木が枯れて今の姿のままに固定されたらしい。
ここにも自刻像があります。
なにをどう努力しても
おカネをつかっても
短命な人がいます。
木喰上人は
「五穀断ち」なのに
全国を行脚して
90 歳を過ぎても
仏像を刻みつづける強靭な体力。
神か仏に!いや!
親に感謝するしかないですね。
しかし!私には
自分を上人や仙人と名乗ったり
仏のような自刻像を数多く作ったりする
自己顕示と
すべての像に共通する「ほほえみ」が
どうシンクロしているのか分かりません。
26 体現存しています。
7 躯(体)ある毘沙門堂に。
木喰仏とは木喰明満上人が刻んだ仏像のこと。
どの仏さまも柔和なお顔です。
「微笑仏」とよばれています。
上人が自分の姿も彫刻しています。
つぎに 3 躯(体)ある天乳寺へ。
ここにも自刻像があります。
(寺子屋時代に悪い子が顔に墨を塗っています)
その背面を拝見します。
どの仏像にもそうですが
非常に細かいことを書き残しています。
日本千タイノ内作
天下和順
神通光明
(梵字)
明満仙人自刻像
九十才 (花押)
日月清明
カセイ大工與清 六十才
文化四卯歳四月九日
これによると
1,000 体製作するという目的あり。
1807 年 4 月 9 日製作。
90 歳のとき。
自分のことを明満仙人と名乗っています。
おそらく師からもらった名前ではなく
自分でつけた名前では。
木喰五行上人とか木喰明満上人とかも
使っていたようです。
名前のことといい
自刻像を作ることといい
自己顕示欲が旺盛なんでしょうか。
すごいですね。
そもそも
木喰(もくじき)とは固有名詞ではなく
木喰戒のこと?!
米!粟!ヒエ!麦!豆の 5 穀を断ち
煮炊きしたものを食べないという修行。
木喰明満上人(1718 ~ 1810)は
45 歳で木喰僧になったとか。
その時代!
人間一期を終えるときに木喰僧。
56 歳から日本全国を行脚。
北海道にも九州にも行っています。
60 歳から仏像を刻みだしたらしい。
目標 1,000 体!
文化 4 年(1807)90 歳のときに
ここ兵庫県猪名川町にきたのですね。
3 月滞在し
33 体の仏像を残しています。
初期のころには
月になん体も彫れなかったようですが
30 年経て 3 日に 1 体のペースですか!
等身大の大きなものが多いのに!
像の裏に
「カセイ大工 與清」とあります。
加勢する大工の与清を伴っていたのですね。
与清は六十歳!
これまたお年寄りですね!その時代では。
大工ひとりだったのか!
与清棟梁の下に集団がいたのか!
知る由もないそうですが。
東光寺に参ります。
ここには 14 躯(体)。
境内の立木に彫ったものも。
生木ですから表皮が成長して
像は木にとっては傷口ですから
覆い包もうとしていきます。
観音像が閉じかけていたとき落雷があり
木が枯れて今の姿のままに固定されたらしい。
ここにも自刻像があります。
なにをどう努力しても
おカネをつかっても
短命な人がいます。
木喰上人は
「五穀断ち」なのに
全国を行脚して
90 歳を過ぎても
仏像を刻みつづける強靭な体力。
神か仏に!いや!
親に感謝するしかないですね。
しかし!私には
自分を上人や仙人と名乗ったり
仏のような自刻像を数多く作ったりする
自己顕示と
すべての像に共通する「ほほえみ」が
どうシンクロしているのか分かりません。
2019-11-26 01:00
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