背割堤 桜満開 2020 [解語の枯れ尾花]
木津川御幸橋を渡ります。
すぐに淀川御幸橋がつづきます。
つまり南から木津川!淀川(宇治川)!
桂川と 3 川が並んでいるところです。
木津川と宇治川の間の
背割堤(せわりてい)の
桜(ソメイヨシノ)が満開です。
背割堤は其角(きかく)と
荷兮(かけい)の句碑から歩きます。
向こうの山が其角の句の
「新月や いつをむかしの 男山」の
石清水(いわしみず)八幡宮のある男山です。
ここも新型コロナウイルス禍の影響で
展望塔のある「さくらであい館」の入場禁止。
イベントも露店もなく
くっついて歩くな!逆向きで歩くな!
いろいろ叫ばれています。
花は春を忘れていません。
1.4km の花のトンネルは健在です。
ちょっと寂しい人出です。
毎年感心する樹の太さ。
置いてみた A4 のファイルが可愛い。
街の中のソメイヨシノは
老いてやつれた木ばかりが目立ちますが
ここはよほど環境がいいのでしょう。
天王山の横まできました。
背割堤の剣先です。
剣先は上流のほうをいうのでしたかも。
背割堤の端っこの河川敷が
広大な芝生の原っぱになりましたね。
しばし寝ころんで休憩。
この世の最期の思い出に
堤の草の上で 1 升酒を飲んだと
佐藤垢石の自伝的な小説
「みやこ鳥」にありましたが。
京阪電車の八幡駅から歩いて
このあたりにきています。
この小説は昭和 13 年(1938)
そのころはそんな駅名でしたか。
この駅はなん度も改名しています。
八幡駅 → 石清水八幡宮前駅 →
八幡町駅 → 八幡市駅 →
さらにほんのこの前(2019/10)
石清水八幡宮駅に変わりましたが。
八幡駅時代に
背割堤はどんな形をしていたのやら。
桜は 1 本もありませんけどね。
昭和 53 年(1978)にすべての松をはらって
桜を植樹したそうですから。
たんぽぽも花盛り。
なんと!みんな
カンサイタンポポじゃないですか!
なんだか安堵しますね。
キイチゴの白い花もいっぱい。
しばし!「コロナ」も忘れます。
佐藤垢石は酒を飲んでひと晩ぶっ倒れて!
結局!死ねなかったのですが
持ちものを売って作った最後のカネで飲んで
その後!どうして東京に帰ったのやら。
細かく追及することもないでしょうけど。
堤の下!南側を帰ります。
どこまでも見あげて歩きます。
おなじ品種だけ植えるのもいいもんですね。
多少白っぽい花とか個性が出ていますが。
香具師(てきや)の出店もなく
寂しい背割堤でした。
其角の「桜」の句は他にも
「饅頭(まんじゅう)で 人を尋ねよ 山ざくら」
というのがありましたが。
花見は酒という句が多いのですが
これはどういう意味なんでしょう。
駅前の八幡市観光協会でもらった
「やわたのお茶とお菓子」という
リーフレットにあった
「やわた走井餅老舗」に寄ります。
「鳩もなか」がおいしそう。
男山山頂にある石清水八幡宮の
八幡大神の眷属神(けんぞくしん)というのか
おつかいというのか知りませんが
そんな動物がハト(鳩)なんですね。
今日は山にのぼらず
「鳩もなか」で失礼して帰ります。
「抹茶」と「さくら」を買いました。
税込み各 200 円。
50mm 角ほどのものでしたか。
ランチ代わりになりませんね。
(敬称略)
すぐに淀川御幸橋がつづきます。
つまり南から木津川!淀川(宇治川)!
桂川と 3 川が並んでいるところです。
木津川と宇治川の間の
背割堤(せわりてい)の
桜(ソメイヨシノ)が満開です。
背割堤は其角(きかく)と
荷兮(かけい)の句碑から歩きます。
向こうの山が其角の句の
「新月や いつをむかしの 男山」の
石清水(いわしみず)八幡宮のある男山です。
ここも新型コロナウイルス禍の影響で
展望塔のある「さくらであい館」の入場禁止。
イベントも露店もなく
くっついて歩くな!逆向きで歩くな!
いろいろ叫ばれています。
花は春を忘れていません。
1.4km の花のトンネルは健在です。
ちょっと寂しい人出です。
毎年感心する樹の太さ。
置いてみた A4 のファイルが可愛い。
街の中のソメイヨシノは
老いてやつれた木ばかりが目立ちますが
ここはよほど環境がいいのでしょう。
天王山の横まできました。
背割堤の剣先です。
剣先は上流のほうをいうのでしたかも。
背割堤の端っこの河川敷が
広大な芝生の原っぱになりましたね。
しばし寝ころんで休憩。
この世の最期の思い出に
堤の草の上で 1 升酒を飲んだと
佐藤垢石の自伝的な小説
「みやこ鳥」にありましたが。
京阪電車の八幡駅から歩いて
このあたりにきています。
この小説は昭和 13 年(1938)
そのころはそんな駅名でしたか。
この駅はなん度も改名しています。
八幡駅 → 石清水八幡宮前駅 →
八幡町駅 → 八幡市駅 →
さらにほんのこの前(2019/10)
石清水八幡宮駅に変わりましたが。
八幡駅時代に
背割堤はどんな形をしていたのやら。
桜は 1 本もありませんけどね。
昭和 53 年(1978)にすべての松をはらって
桜を植樹したそうですから。
たんぽぽも花盛り。
なんと!みんな
カンサイタンポポじゃないですか!
なんだか安堵しますね。
キイチゴの白い花もいっぱい。
しばし!「コロナ」も忘れます。
佐藤垢石は酒を飲んでひと晩ぶっ倒れて!
結局!死ねなかったのですが
持ちものを売って作った最後のカネで飲んで
その後!どうして東京に帰ったのやら。
細かく追及することもないでしょうけど。
堤の下!南側を帰ります。
どこまでも見あげて歩きます。
おなじ品種だけ植えるのもいいもんですね。
多少白っぽい花とか個性が出ていますが。
香具師(てきや)の出店もなく
寂しい背割堤でした。
其角の「桜」の句は他にも
「饅頭(まんじゅう)で 人を尋ねよ 山ざくら」
というのがありましたが。
花見は酒という句が多いのですが
これはどういう意味なんでしょう。
駅前の八幡市観光協会でもらった
「やわたのお茶とお菓子」という
リーフレットにあった
「やわた走井餅老舗」に寄ります。
「鳩もなか」がおいしそう。
男山山頂にある石清水八幡宮の
八幡大神の眷属神(けんぞくしん)というのか
おつかいというのか知りませんが
そんな動物がハト(鳩)なんですね。
今日は山にのぼらず
「鳩もなか」で失礼して帰ります。
「抹茶」と「さくら」を買いました。
税込み各 200 円。
50mm 角ほどのものでしたか。
ランチ代わりになりませんね。
(敬称略)
コメント 0