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竹内街道 金田村あたり [町道!街道!眠り未だ足らず]

大阪メトロ(地下鉄)といいながら
堺市の新金岡駅から
府道 28 号線を南に行けば
巨大なクスノキがありました。
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元西之宮とあります。
江戸時代には “千軒” といわれた大きな集落
金田(かなた)村の西の入り口がここらしい。

ということは!西からやってくる道は
竹内(たけのうち)街道に違いありません。
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わが家の近所の
たなべ不動尊のそばの細い道は
難波大道(なにわおおじ)だったと
いわれています。
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日本書紀の推古 21 年(613)に
難波(なにわ)から都に至る
大路(おおじ)を設けたとあります。

(今!宇治谷孟現代語訳を見ています)
(白文とか原書は)
(違う漢字を使っているかも)

その道は!今はすぐとぎれて
まったく分からなくなっていますが
ほぼまっすぐ南下して
今のこの竹内街道にぶつかっていたはず。

それから現存の竹内街道を東に向かい
都(飛鳥)まで行っていたのでしょう。



竹内街道を東にたどり
昔の金田村を少々歩いてみます。
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金田村は
河内鋳物師(かわちいもじ)の
里だったという説がありました。

工業地帯(!)だったようです。
鋳物です!金屋です。
金太とか
金田とか呼ばれたりしていたのかな。

金岡神社にあたりました。
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明治になって
村と村が合併し
神社が合祀されたとき
巨勢金岡(こせのかなおか)という人も
合祀したので
金岡神社と命名!?

それで今の地名は金岡(かなおか)ですか。
なんだか面白くないはなしですね。
生意気いってすみません。

玉垣に大道町の字が見えます。
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神社の横に竹内街道の
現代に造った標識がありました。
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街道の幅員がころころ変わっています。
昔は狭かったのかと思いましたが
大道ですから
もしかして逆に 30m くらいあったのかも。
時代がさがるにしたがって需要がなくなり
どんどん細くなったとは考えられませんか。



連日!外出するたび
豪雨にみまわれていたのですが
このカンカン照り!暑いのなんの。

大泉(おおいずみ)緑地にあたりました。
そのとき!にわかにくもり!雨がぽつぽつ。
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小雨に負けず!セミが鳴いています。

私の近所の公園や植物園と比べれば
林が深い。
わが家の周囲はクマゼミ 1 種ですが
ここには!いくつかの声があります。

なんていっている場合ではありません。
どわ~っと降ってきました。
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ああ!今日も降られましたね。
いつまでつづくぬかるみぞ。

逃げて!帰ります。



ほうほうの体で新金岡駅に着きました。

なにか食べて帰りますか!正午だし。
ファミレスのサイゼリヤしか
見あたりませんが。

お~!ランチがみんな 500 円!
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税込みで!

ああ!こういう店はハンバーグが多いですね。
それにスパゲティも。

ハンバーグは
くず肉をたたいていた厨房がありましたね。
スパゲティは 500g 50 円のものを
ゆでていたのを見たことも。

どうしてそんな
不吉なことを思い出すのでしょう!情けない。

鶏肉のトマトソース煮込み
(チーズのせチキンカチャトラ)という
長い名前のものをいただきましょう。
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「スープ!まずい!」と
隣席のファミリーが口々にいっています。

ホントだ!まず~!
なんの味もぼんやり。
まずくても感謝していただきましょうね。

100 円プラスでドリンクバーがつきました。
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コーヒーをホットとアイスで飲みましたが。



(敬称略)
コメント(2) 
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コメント 2

nao0880

どの写真も見慣れた風景です。
府道28号は堺市では、ときはま線(常盤浜寺線)と呼んでいます。
大阪市では、あびこ筋ですね。
金岡の由来が、河内鋳物師であったとは、初めて知りました。
長い間、知らずに住んでいました。ありがとうございます。
by nao0880 (2021-08-21 08:00) 

ほっ

金岡の前の金田村の金の由来は
他にもあるようです。
すみません!いいかげんな聞きかじりで。

いつもご訪問ありがとうございます。
by ほっ (2021-08-21 13:52) 

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