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阪田三吉 舳松の瓜 あぶらかす [猫も歩けば棒立ち]

長塚節(1879 ~ 1915)が
逍遥(しょうよう)をつづった
松虫草(原作は旧漢字)に堺を書いていました。

すすきと畑と青田と
向こうに茅淳(ちぬ)の海があるそうな。
そこにみっつの山陵があるとか。
明治の終わりのころの風景でしょうか。

中央の小山のような山陵が
百舌鳥の耳原の中の陵だそうです。
「もずのみみはらのなかのみささぎ」と読むはず。

今は
仁徳天皇陵古墳という通称がよく使われていますが。

長塚節は
すすきの穂の中のわらぶきの茶店に入ります。

茶店の女性に
山陵のあたりは耳原じゃない!
舳の松という村だと教えられます。

「舳の松」は「舳松」とも書いて
「へのまつ」と読むのですね。

宮本智恵子編著/今も伝わる大阪のごはんとおかず/に
大阪府下特産の在来野菜に
「舳松の瓜」がのっています。
単語だけのっています。



瓜を求めて歩きます。

瓜ですか。
キュウリやらマクワウリやら、、、それとも。

海が見えたというなら
仁徳天皇陵古墳の西側がそうでしょうか。

しかし!畑も田んぼもありません。
家並みがぎっしり。

余計なことですが
こんな乱開発のような中で
古墳群の世界遺産登録を目指しているようですが
大丈夫?!

歩けども
畑もなければ舳松という地名もありません。



ん!?
ありました!舳松!
「舳松人権歴史館」?!
わ!
まったく苦手な分野です。
堺市立人権ふれあいセンターの中にあります。

その 7 階に「阪田三吉記念室」があるというので入ります。
入館料は不要です。

阪田三吉(1870 ~ 1946)は
ここ堺県大鳥郡舳松村字塩穴の出身だとか。

ちなみにたしか
先ほど塩穴という交差点を通り過ぎましたが。

劣悪な環境で育ち
将棋で大成し
没後!日本将棋連盟から
名人位と王将位の称号が贈られた人ですよね。

(旧称・坂田三吉!吉は土に口と書くのかも)

というより将棋の世界にうとい人でも
戯曲や映画や芝居で有名な人ですよね。

そうそう!文字を知らないので
揮毫(きごう)は「左馬」ばかり
左に向いた「馬」の字ばかり書いたそうな。

あれ!?
blog馬.jpg

左馬じゃないじゃないですか。
ちゃんとした馬じゃないですか。

脚本はあまりにも名人をバカにしていませんか。
なにかを強調したかったのでしょうけど。



将棋の駒に飛車というのがあります。
飛車が成れば龍王です。

角行というのが成れば龍馬!

将棋には「龍」がふたつあります。
でも!フツー「龍」と呼ぶのは龍王を指します。
龍馬の略称は「馬」です。

龍王は昇り龍
龍馬は下り龍ともいわれていますが。

三吉が選んだ文字は下り龍の「馬」
なにか謎があるのでしょうか。
心の深層に秘められたものがあるのでしょうか。



阪田三吉記念室が
舳松人権歴史館の一室に作られていることは
ま!結構なことです。
人権問題とからめたかったらからめてください。

が!
もっと大きな顕彰館も別に建ててもいいのでは。

現在の主に関西の棋士の中に
阪田の孫弟子・曾孫弟子が大勢いるでしょ。

十七世名人資格者の谷川浩司九段をはじめ
内藤國雄九段!久保利明九段ら
20 名を越える綺羅星のような棋士たちがいて
怠慢じゃないんですか。

なんてね!怒らないで。
生意気いってすみません。



ついでに企画展「舳松の伝統料理」を拝見。

「あぶらかす」がありました。

今!
大阪ではあちらでもこちらでもメニューにある食材。
ムラ(被差別部落のことと書いてあります)の
伝統食品だったのですね。

牛馬の腸を切って釜でいり揚げるのだとか。
すると脂と固形物に分かれるのですね。
固形物の方を「あぶらかす」というのでしたか。



近くの阪田三吉生誕の地に
顕彰碑が建っていると聞きました。

そのあたりに行って
数人の老若男女に尋ねたのですが
どなたもまったく聞いたことがないといいます。

寂いしいことですね。

耳原総合病院という建てものはありました。
「耳原」という単語は残っていました。



あれ!?
「瓜」を探していたのですよね。

徒労に終わりました。

仁徳天皇陵古墳横のJR百舌鳥駅から帰ります。
なんと!初めて知りました!
わが家の最寄りの駅まで運賃 170 円。
すごく近いところに古墳があったのですね。



(敬称略)
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