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江口の君堂はおっぱいの島の中 [わが街・大阪ブギウギ]

仁安 2 年(1167 年)のこと。
ま!古いはなしです。
旅の僧・西行(1118 ~ 1190)が
そまつな民家に雨宿りをこいました。

断られました。

西行は
  世の中を 厭(いと)ふまでこそ 難(かた)からめ
  仮の宿りを 惜しむ君かな
と詠(よ)めば

それに家の女・妙が答えて
  世をいとふ 人とし聞けば 仮の宿
  心をとむなと 思ふばかりぞ

新古今和歌集にのっているとか。

謡曲「江口」では
「妙」は遊女・江口として登場しているようです。
また!遊女は普賢菩薩の化身だったのです。

江口とは西国から平安京に行く船便の中継地の地名。
今はかなり海から隔たっていますが
1200 年前は河口だったのかも。

無知な私にはよく分らんはなしですが。



いつのころからか
妙を「江口の君」と呼び
冥福を祈って建立したのが寂光寺
通称・江口の君堂。

たくさんのカラスが鳴いています。
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今日はカラスの町内会の日かも。

失礼ながら山中の破(や)れ寺かと思いました。
なんだか寂寥感を感じましたが
境内を整地して
中古車センターのように駐車場にしている寺院より
頭が下がります。

西行塚と君塚。
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あくまでも妙は遊女扱いなんですね。

歌碑にも「遊女妙」とあります。
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聖僧と遊女と普賢菩薩の
取り合わせが面白いのでしょうか。



このあたりを彷徨することはまずないのですが
この近くで 1 晩
お通夜に座っていたことがありました。
直接の血縁はなかったのですが。
遠い日のこと。

そんなことをふと思い出して!歩きます。

大隅神社。
狛犬が団体で迎えてくれました。
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河川の跡でしょうか。
橋の形見と水のない小川。
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そのそばに「乳牛牧跡」の碑が。
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「ちちうしのまき」と読むのですね。
「味原牧(あじふのまき)」とも呼ばれていたらしい。
宮内省典薬寮が乳牛を飼っていたとか。
1000 年以上前のはなしでしょうか。

日本書紀に大隅嶋とありますから
このあたりは淀川河口の島だったのでしょう。

乳牛を放牧するのに適した島。

もう地名も残っていないようですが
近くの大隅東小学校は
この前まで(といっても!だいぶ前のことですが)
乳牛牧尋常小学校との名前だったそうですよ。



大宮という神社がありました。

主祭神は安閑天皇(466 ~ 536)でした。
安閑天皇がこの島を開発したので敬っているのですね。

この前まで(といっても!だいぶ前のことですが)
広大な境内を有していたらしいのですが
明治の淀川の改修でほとんどを川底にされ
こじんまりとなって秋の陽の中。

大きな桜の木がなん本かありました。

毛虫ちゃんが並んで平和な秋です。
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