栗の醤油煮!小さな秋 [桃栗残念!柿蜂の巣?]
また!乞食井月!いや
井上井月(いのうえせいげつ 1822 ~ 1887)の句を
思い出す季節になりました。
落栗の座を定めるや窪溜
(おちぐりの ざをさだめるや くぼだまり)
定める座もなく
車道にころがり落ちて
人やくるまに踏まれてつぶれているものもあります。
身につまされそう。
鳥類には食べやすくなっていますが
実りの秋
危険な場所に飛んでこなくてもいいのか
だれにも見向きされませんね。
身につまされますね。
ぽつぽつと拾いながら歩きます。
ひとつ拾えばひとつしあわせが増えたような
そんな気がします。
悲しい性(さが)ですね。
先日亡くなった
酒井雄哉(1926 ~ 2013)比叡山大阿闍梨(あじゃり)は
千日回峰行を 2 度も成し遂げていますが
栗なんか落ちていても拾わなかったのでしょうね。
酒井大阿闍梨は常行三昧(じょうぎょうざんまい)とかいう
危険極まりないので禁止されていた行を復活されています。
90 日間立ったままお堂の中をぐるぐる回る修行。
それには栗さえ落ちていないでしょうね。
食い気と色気だけしか興味ない私が
こんなに暇さえあれば
(いや!暇だけはあるのです)
歩いているのはなんなのでしょう。
もちろん!修行ではありません。
現実逃避だけですか。
帰るまでにはひと握り。
小さな栗。
右端のどんぐりの方がおいしそう。はは。
どんぐりは食べられないのですか。
椎の実なんか生でも食べられますよね。
韓国料理店のどんぐり冷麺は
どの実から作っているのですか。
向山雅重という人の研究によると
信州の高遠藩の記録に
救荒食物として「シダミ」が書かれているそうな。
漢字で書けば「柴だ実」だとか。
近世の信州上伊那郡宮田村では
秋の山で拾うとしたら
まず!栗の実。
次に栃(とち)の実。
3 番目にどんぐり。
あんまり関心がないのがシダミだそうですよ。
この順序はうまいまずいというより
食品となるまでの下処理の大変さの問題じゃないの。
いわゆるアク抜きの難易度。
この村で「どんぐり」とはクヌギの実だとか。
それじゃ!シダミとは!?
ナラの実(ミズナラ・コナラ)のことらしい。
私のように洗練された(!)都会っ子(?)が
(ま!ただの阿呆ともいいますがね)
ひと口にどんぐりとかたづけているものにも
いろいろ性質と歴史があるものですなぁ。
拾った栗の鬼皮をむいて
渋皮をつけたまま鍋に入れサイダーをそそぎます。
さらに重曹を振って泡を立ててから点火。
ん!?
煮ながら気づいたのですが
こんなこと!必要なんですかね。
私は醤油で煮たいだけなんですが。
渋皮のアクを抜くのは
マロングラッセ風にシロップ煮のときだけかも。
煮えたらサイダーを捨てて
昆布だしと醤油と味醂とで煮含めます。
箸休めくらいのものができました。
私の小さな秋。
寂しかないよ。寂しくと思うなよ。
今は世に拾う人なき落栗の
くちはてよとや雨のふるらん 井月
(敬称略)
井上井月(いのうえせいげつ 1822 ~ 1887)の句を
思い出す季節になりました。
落栗の座を定めるや窪溜
(おちぐりの ざをさだめるや くぼだまり)
定める座もなく
車道にころがり落ちて
人やくるまに踏まれてつぶれているものもあります。
身につまされそう。
鳥類には食べやすくなっていますが
実りの秋
危険な場所に飛んでこなくてもいいのか
だれにも見向きされませんね。
身につまされますね。
ぽつぽつと拾いながら歩きます。
ひとつ拾えばひとつしあわせが増えたような
そんな気がします。
悲しい性(さが)ですね。
先日亡くなった
酒井雄哉(1926 ~ 2013)比叡山大阿闍梨(あじゃり)は
千日回峰行を 2 度も成し遂げていますが
栗なんか落ちていても拾わなかったのでしょうね。
酒井大阿闍梨は常行三昧(じょうぎょうざんまい)とかいう
危険極まりないので禁止されていた行を復活されています。
90 日間立ったままお堂の中をぐるぐる回る修行。
それには栗さえ落ちていないでしょうね。
食い気と色気だけしか興味ない私が
こんなに暇さえあれば
(いや!暇だけはあるのです)
歩いているのはなんなのでしょう。
もちろん!修行ではありません。
現実逃避だけですか。
帰るまでにはひと握り。
小さな栗。
右端のどんぐりの方がおいしそう。はは。
どんぐりは食べられないのですか。
椎の実なんか生でも食べられますよね。
韓国料理店のどんぐり冷麺は
どの実から作っているのですか。
向山雅重という人の研究によると
信州の高遠藩の記録に
救荒食物として「シダミ」が書かれているそうな。
漢字で書けば「柴だ実」だとか。
近世の信州上伊那郡宮田村では
秋の山で拾うとしたら
まず!栗の実。
次に栃(とち)の実。
3 番目にどんぐり。
あんまり関心がないのがシダミだそうですよ。
この順序はうまいまずいというより
食品となるまでの下処理の大変さの問題じゃないの。
いわゆるアク抜きの難易度。
この村で「どんぐり」とはクヌギの実だとか。
それじゃ!シダミとは!?
ナラの実(ミズナラ・コナラ)のことらしい。
私のように洗練された(!)都会っ子(?)が
(ま!ただの阿呆ともいいますがね)
ひと口にどんぐりとかたづけているものにも
いろいろ性質と歴史があるものですなぁ。
拾った栗の鬼皮をむいて
渋皮をつけたまま鍋に入れサイダーをそそぎます。
さらに重曹を振って泡を立ててから点火。
ん!?
煮ながら気づいたのですが
こんなこと!必要なんですかね。
私は醤油で煮たいだけなんですが。
渋皮のアクを抜くのは
マロングラッセ風にシロップ煮のときだけかも。
煮えたらサイダーを捨てて
昆布だしと醤油と味醂とで煮含めます。
箸休めくらいのものができました。
私の小さな秋。
寂しかないよ。寂しくと思うなよ。
今は世に拾う人なき落栗の
くちはてよとや雨のふるらん 井月
(敬称略)