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一休さんと一休禅師と [猫も歩けば棒立ち]

京田辺市にある近鉄・新田辺駅前に
「一休さん」が立っていました。
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一休宗純(いっきゅうそうじゅん1394 ~ 1481)が
晩年を過ごした
酬恩庵(しゅうおんあん)があるからですね。

ま!もっとも
だれも酬恩庵なんていわないようですがね。
「一休寺」としか呼びません。

一休寺に向かえば
大きな看板がありました。
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「玉露のまち京田辺」ですか。
ここにも「一休さん」らしいこどもが喫茶している絵。



一休寺ではまず!
方丈の枯山水を鑑賞するのが私のお決まり。
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抹茶をいただいて静かに座っていたいのですが
道中!一休寺に向かう団体がひしめいていたので
騒々しくなる前に退散しましょう。

枯山水は南・東・北に造られています。
方丈の外の廊下を通り南から北へ回ります。
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雨に濡れる廊下がすてきだと思いませんか。
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境内にある一休禅師の像。
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その横に小坊主のような像。
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小坊主といったら叱られますか。
なんというのでしょう。
安楽庵策伝(1554 ~ 1642)が醒睡笑に
「児(ちご)」または「小児(こちご)」と書いているのは
叡山での呼称かも。
ここは禅宗ですから「沙弥(しゃみ)」なんでしょうか。

仏教のこと!なんにも知りませんね。

帰依しないまでも!
もっと毛嫌いしないで耳を傾けておけば
少しはゆとりのある人生がおくれたかも!なんて
つまらん反省をしてしまいました。

寝ているこどももいます。
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もともと兵火にあった妙勝寺という寺院の跡に
草庵を結んだときは 1456 年
一休は還暦過ぎていますよ。

境内の幼・少年時代の一休はおかしい?!

記憶をたどれば
大昔!どこかの会社のなにかの旅行できたとき
ここのお坊さま(だったと思います!)のおはなしがあって
「ちょっと変ですが!深く考えないでください」と
尋ねもしないのに苦笑いされていたような。

つまり!
「一休禅師」と
「一休さん」のふたりがいると思えばいいのですね。



アニメや漫画の「一休さん」やら
江戸時代の「一休咄」やらの
「一休さん」の「知恵」の多くは
中国の笑話や故事からの引用のような。

その古典を「一休さん」が思い出したものなのか
後世の作者があてはめたものなのか。

小さな橋。
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「このはしわたるな」も
なにかの古典で読んだことがあるような。



一休はここで眠っているのですね。

先ほどの方丈の枯山水の庭の向こうに見えるのが
一休の御廟と聞いたことがあります。

表に回れば!あれ?!
入れません!

菊の御紋のついた扉があり
厳重に施錠されています。

一休は後小松天皇の落胤(おとしだね)?!
皇位継承権があるとかないとかといううわさは
ホントなんですか。
今も宮内庁管理の墓ですからね。

菊の御紋のすきまからのぞいてみます。
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すみません。



秋の里を歩きます。

同志社大学のキャンパスの外側を
ぐるりと大きく回ってみます。

日本にはまだ稲穂の波があります。
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イナゴはいませんか。
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くるときに「玉露のまち」の看板を見ましたが
茶畑はこのあたりにはありませんね。
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