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スーパーヒーロー木津勘助 [わが街・大阪ブギウギ]

大阪市の西部を
袈裟斬りに斬り裂いて海に消える木津川に
4 か所の公営の渡し船があります。

一番上流の落合上(おちあいかみ)渡船に乗って
左岸の西成区から右岸の大正区に上陸。

ちなみに木津川の右岸はみんな大正区です。

上流の天空に大きな円弧を描いているものは
木津川水門ですね。
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高潮をせき止める水門らしいのですが。

北に歩けば下八阪神社。
ん!?
境内の社のひとつのご神体?!
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ん?
これ彫りもの!?
動きませんが生きているようです。
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この境内にはライオンが!?
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とぐろを巻いているものも。
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上流には上八坂神社。
境内に「中村勘助之碑」がありました。
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左の銀杏の木は
八垂銀杏樹(やたれいちようじゆう)とあります。
勘助が植えた木らしい。

初代は今では大きな切り株。
2 代目が伸びています。

中村勘助はまたの名を木津勘助。

常識の欠けている私は来阪するまでは
まったく知りませんでしたが
この地では有名人なんですね。

講談!落語!歌舞伎!浪花節!
とり上げない高座・舞台はないほど知名度は抜群。

勘助は天正 14 年(1586 年)東国の相模の生まれ。
それなのに大坂に移住。
豊臣方の軍船を造ったり
新田を開拓したり
木津川を掘削して堤防を築いたり
飢饉のとき幕府の米蔵を破ったり
スーパーヒーローなんですね。

だから!このあたりには勘助の足跡だらけ。

木津川に出ると大浪橋(おほなみはし)のたもとに
「わたし 勘助島」の碑が。
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今の大正区のあたりは勘助島と呼ばれて
ここに渡し船があったようです。

あ!JR環状線。
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すごい鉄橋ですね!珍しい形。
電車に乗っているときには分かりませんね。

その鉄橋のそばにJR大正駅がありました。

鉄橋に並んでいるのは大正橋。
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大正 4 年(1915 年)に
市電を通すために架橋されたらしい。
大正時代だったから!大正橋!?
後に区が生まれるときに
区名はこの橋から命名されたといううわさ。

今の橋の歩道には鍵盤が。
高欄には五線譜。
車道との境にメトロノーム。
ベートーベンの「歓喜の歌」らしい。
どうしてベートーベンなのかは
地元の人に聞いても分かりませんでした。

橋の東の上流側に「津浪記」と書かれた墓石のような碑が。
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安政元年(1854 年)の大津波の犠牲者の供養と
後世の人のために教訓と心得を刻んでいます。

文字の墨の跡が鮮やかです。

それもそのはず!
「年々文字よみ安きよう墨を入れ給ふべし」と
指示しています。

今も守っているのですね。
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