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草木の生えるままに [いわなが姫の丑の刻参り]

「草木の生えるままにせよ」

ちょっと気になることば。
気になっているのに放置していることば。

52 代嵯峨天皇(786 ~ 842)が
自身の埋葬方法を遺言したそうな。

「棺は不要」
「山深いところに置け」
「土を盛るな」
「まつりごとはするな」

それで!そうしたそうですよ。

でも!
御陵(みささぎ)があるのです。
奥嵯峨は大覚寺の北西の小山がそうらしい。
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たぶん!
徳川幕府の「文久の修復」(1862 ~)で
歴代天皇陵をすべて比定する必要から
決めたのでは。
ま!無学なものの勝手なざれごとですので
他言は無用に存じます。



平安宮から見れば田舎でしょうけど
そんなに山深いところでもないのでは。
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それに大覚寺は嵯峨天皇が離宮としていたところ。
まったくの寂しいところでもないと思うのですが。
幕末の治定がおかしいのでは。



嵯峨天皇陵は
宮内庁の名称では
「嵯峨天皇嵯峨山上(やまのへ)陵」らしい。
文字通りに山上にあるといいます。

近くはよく通っているのですが
ジグザグの上りの参道が
800m ばかりつづいて
15 分くらいはゆうにかかるそうなので
つい!また今度!と先を急ぎ
実は 1 度も上ったことがありません。



嵯峨帝は大変聡明だったという評判が残っています。

また!皇后や妃や子女も賢明な人が多いとか。

ちなみにたいそう艶福な方で
手元にある天皇家の系譜の配偶者欄には
皇后1  妃2 夫人2 女御2 更衣22 となっています。
シモジモの感覚でいえば奥さんが 30 人近くも。

大宅壮一著/実録・天皇記/によると
子女 50 人の記録があるそうですよ。

そのひとりの有智子(うちこ)内親王は
母が渡来人だったせいか
容貌と聡明さが群を抜いていたとか。

その有智子が 17 歳のとき作った漢詩に遭遇したので
それが春の詩だったので
この前の春に嵯峨天皇陵で朗読してみようかと
浅はかにも思って嵐山まできたのです。

それが急きょ!予定変更することが起きて
あらためて数日後にこようとは思ったのですが
とうとう秋になってしまいましたね。



あ!?
御陵の参道が厳重に閉鎖されています。

参道が崩れているそうな。

それは先月(2013/09/16)の
台風の大雨が起こしたのじゃなく
昨年(2012/07/15)の豪雨の被害らしい。

1 年を過ぎたのに、、、まだ修復できませんか。
大変そうですね。



嘉智子(かちこ=檀林皇后 786 ~ 850)皇后も
薄葬でしたよね。
この方も鳥獣に食い荒らされてよい!といわれたとか。

檀林皇后の御陵は嵯峨陵と呼ばれて
清滝に行く鳥居本から水尾に向かう道の山の中にあります。
そちらに回ります。

同じ嵯峨野とはいえ
かなりふたつの御陵はへだたっています。
寂しいじゃないですか。
やっぱり比定がおかしいのですよ。

大汗をかいてたどり着いたのに
嵯峨陵の参道もストップ?!
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こちらは嵯峨天皇陵ほど厳重ではありません。
全然!
簡単に入れそうですが。

ま!やめておきましょう。



「草木の生えるままに」
「祭祀はするな」なら
山が崩れても!なくなっても
参道の修復は必要なのでしょうか。

そもそも御陵を比定したり!
参道を造ることさえ
遺言に背いているのでは?!



とぼとぼ下れば
有智子内親王(807 ~ 847)の墓所がありました。
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今は観光客の往来の激しいところで眠っています。
享年 41 歳ですか。

なにもかも恵まれているのに。
なんといっても日本一(!)の美貌の持ち主だったのに
恋のひとつもあったのでしょうか。
美し過ぎ!聡明過ぎるのも罪なのかも。

私の企画するハイキングに参加してくれる
アラフォー(around 40)のおね~さん方も
美し過ぎて!!
薄幸なさだめなのかも。
冗談ですよ!長生きしてね!するよね!きっと。

観光客は向かって右の落柿舎目当ての人ばかり。
その方が少しだけ静かに休めますか。



(敬称略)
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