島倉千代子 からたちの小径 [パパラッチ!ママえっち?]
以前のTVの歌番組では
歌手はレコードに合わせてパクパク
いわゆる「口パク」だったそうな。
中継の技術的なことがそうしたのでしょう。
あるとき島倉千代子は
レコードは 2 番が流れていたのに
打ち合わせが悪く
3 番の「口パク」をしたそうな。
視聴者が驚いても後の祭り。
歌手でもある棋士・内藤国雄の著書
「自在流人生」に書いてありました。
その著述は昭和 53 年(1978 年)のころですから
「以前」とはその前の時代のことですよ。
島倉千代子が人生最期に吹き込んだCDが
発売される(発売予定日2013/12/18)のですね。
その発売の前に入手したCDを
某いわゆる「大阪のおばちゃん」が貸してくれました。
死の 3 日前の声。
聴きました。
恥ずかしながら音感ゼロで!
音楽は分からないから幼稚園のときから嫌いですので
不調法にも評価は書けませんが
なんかすごいことだけは分かります。
CDのタイトルは「からたちの小径」です。
「からたち」にこだわっているようですが
なぜでしょうね。
たしかにかの女に
「からたち日記」というヒット曲がありますが
かの女のヒット曲は数多(あまた)
デビュー曲でも最初のヒット曲でも
最大の販売枚数を誇る曲でもないようなんですが。
「からたち日記」の作曲は「米田信一」です。
米田信一は遠藤実のペンネームです。
ちなみに遠藤実はたくさんの名前を使って
曲を書いています。
それでは遠藤実の自叙伝
「涙の川を渉るとき」を広げてみましょう。
島倉千代子が最初のスランプに陥っているとき
コロムビアの馬淵ディレクターが
「島倉復活」に力を貸せ!と
他社なのに!
マーキュリーレコード専属の遠藤実に
依頼してきたそうな。
遠藤は渡された詩「からたち日記」に
曲をふたつつけてみました。
「短調」のと「長調」のと。
「長調」の方は歌うのが難しいように
意図的に作ったらしい。
音痴の私には理解は澪(みお)外ですが
「長調」の曲はリズムさえころころ変わっています。
2/4 3/4 4/4と移って行くようですが。
う~ん!?
私には手拍子はできませんね。
ちなみに遠藤メロディには
こんなことはよくあることらしい。
たとえば牧村三枝子の「みちずれ」なんか。
「遠藤実はただものではないね」と
宮川泰著/サウンド解剖学/では感嘆しながら
ほめています。
島倉千代子はプロ意識が旺盛でした。
みんなが決めかねているとき
なんと!難しい方「長調」を選んだのです。
それがヒットし!
見事「復活」したそうです。
そんないきさつ!思い入れ!思い出が
「からたち日記」「からたちの小径」に
秘められているのでしょうか。
ちなみに
(ちなみに!ちなみにとうるさくいって!すみません)
馬淵はディレクターとしての最初の仕事。
それからいくつもの大きな仕事をこなし
後に「艶歌の竜」と呼ばれるようになります。
五木寛之著/艶歌/の主人公のモデルです。
死んだ父が
「島倉千代子は嫌い」とばかりいっていました。
「嫌い」を連発していたから
「好き」だったのかも。
「モー娘。は嫌い」
「AKBのどこがええねん!」とかいって
「わしゃ!昨日CD買(こ)うた!」と落とす
漫才のトミーズのネタがあります。
父もそんな「嫌い」だったのかな。
父が死んでちょうど 1 年になりましたが
ああ!法要に行かねばなりません。
私は波風(?)を立てないように
おとなしく遠い親戚づらをして
「からたちの小径」のCDを持って行きます。
ああ あなたが歌ったうた 忘れはしない
好きです いついつまでも
涙が ぽろぽろり (からたちの小径)
(敬称略)
歌手はレコードに合わせてパクパク
いわゆる「口パク」だったそうな。
中継の技術的なことがそうしたのでしょう。
あるとき島倉千代子は
レコードは 2 番が流れていたのに
打ち合わせが悪く
3 番の「口パク」をしたそうな。
視聴者が驚いても後の祭り。
歌手でもある棋士・内藤国雄の著書
「自在流人生」に書いてありました。
その著述は昭和 53 年(1978 年)のころですから
「以前」とはその前の時代のことですよ。
島倉千代子が人生最期に吹き込んだCDが
発売される(発売予定日2013/12/18)のですね。
その発売の前に入手したCDを
某いわゆる「大阪のおばちゃん」が貸してくれました。
死の 3 日前の声。
聴きました。
恥ずかしながら音感ゼロで!
音楽は分からないから幼稚園のときから嫌いですので
不調法にも評価は書けませんが
なんかすごいことだけは分かります。
CDのタイトルは「からたちの小径」です。
「からたち」にこだわっているようですが
なぜでしょうね。
たしかにかの女に
「からたち日記」というヒット曲がありますが
かの女のヒット曲は数多(あまた)
デビュー曲でも最初のヒット曲でも
最大の販売枚数を誇る曲でもないようなんですが。
「からたち日記」の作曲は「米田信一」です。
米田信一は遠藤実のペンネームです。
ちなみに遠藤実はたくさんの名前を使って
曲を書いています。
それでは遠藤実の自叙伝
「涙の川を渉るとき」を広げてみましょう。
島倉千代子が最初のスランプに陥っているとき
コロムビアの馬淵ディレクターが
「島倉復活」に力を貸せ!と
他社なのに!
マーキュリーレコード専属の遠藤実に
依頼してきたそうな。
遠藤は渡された詩「からたち日記」に
曲をふたつつけてみました。
「短調」のと「長調」のと。
「長調」の方は歌うのが難しいように
意図的に作ったらしい。
音痴の私には理解は澪(みお)外ですが
「長調」の曲はリズムさえころころ変わっています。
2/4 3/4 4/4と移って行くようですが。
う~ん!?
私には手拍子はできませんね。
ちなみに遠藤メロディには
こんなことはよくあることらしい。
たとえば牧村三枝子の「みちずれ」なんか。
「遠藤実はただものではないね」と
宮川泰著/サウンド解剖学/では感嘆しながら
ほめています。
島倉千代子はプロ意識が旺盛でした。
みんなが決めかねているとき
なんと!難しい方「長調」を選んだのです。
それがヒットし!
見事「復活」したそうです。
そんないきさつ!思い入れ!思い出が
「からたち日記」「からたちの小径」に
秘められているのでしょうか。
ちなみに
(ちなみに!ちなみにとうるさくいって!すみません)
馬淵はディレクターとしての最初の仕事。
それからいくつもの大きな仕事をこなし
後に「艶歌の竜」と呼ばれるようになります。
五木寛之著/艶歌/の主人公のモデルです。
死んだ父が
「島倉千代子は嫌い」とばかりいっていました。
「嫌い」を連発していたから
「好き」だったのかも。
「モー娘。は嫌い」
「AKBのどこがええねん!」とかいって
「わしゃ!昨日CD買(こ)うた!」と落とす
漫才のトミーズのネタがあります。
父もそんな「嫌い」だったのかな。
父が死んでちょうど 1 年になりましたが
ああ!法要に行かねばなりません。
私は波風(?)を立てないように
おとなしく遠い親戚づらをして
「からたちの小径」のCDを持って行きます。
ああ あなたが歌ったうた 忘れはしない
好きです いついつまでも
涙が ぽろぽろり (からたちの小径)
(敬称略)