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御堂さん 思い出に歩けばてふてふ [いわなが姫の丑の刻参り]

先代の林家三平流にいえば
お坊さんがふたり通るよ!おしょうがつ~。
電車が止まったよ!がんた~ん。

ま!くだらんことだけ頭に浮かぶお正月。
暇なんですよね。
することもありません。
しなければならない行事もありません。
どこか遠くの国に行きたいのですが
懐中不如意はお正月がきても変わりません。

あ!寝過ごした!と飛び起きたりしました。
それがまだお正月 2 日の朝でしたね。
もうなん日も過ぎたような気がしたのですが。

お正月はいらんわい!



心斎橋筋でも歩いてみますか。
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売るほど日の丸を吊っていますね。
めでたいですね。
こんなことをいうのは
おめでたい!かも知れませんね。

大阪にきたとき
ま!××十年前のことですけど!
このあたりで浮名を流したような。
そのときには色気ばかりで
景色なんか見ている余裕がなかったのですが
古いビルがあるじゃないですか。
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開成館ですか。
大正 14 年(1925 年)に
創業 100 年記念として建てた
国の登録有形文化財。
古い古い楽器店かな。



御堂筋に出れば公孫樹(いちょう)は冬枯れ。
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難波(なんば)神社が見えますね。

正面に「稲荷社文楽座跡」の碑があります。
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植村文楽軒が文化 8 年(1811 年)に
人形浄瑠璃の芝居を始めたとか。

小屋は明治 5 年(1872 年)に九条新地に移転。
その後に「彦六座」がオープンしたらしい。

「彦六座」?!「彦六」!?
大坂(大阪)落語の祖・米澤彦八と
なんらかの関係があるのでしょうか。



北上して坐摩(いかすり)神社にまわります。

私たちが不純な思いで(不純な行為ではありません)
境内を徘徊していたときには
そのまま音読みで「ざま神社」と呼んでいましたが。

ん?!
坐摩神社に
「上方落語寄席発祥の地」の碑ができていました。
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初代桂文治が寛政(1789 年~)のころ
境内に大坂で初めて寄席を建てたとあります。

江戸時代には大きな門前市が形成されていたそうな。

古典落語の「壺算」には
「坐摩の前へ古着を買いに行くとせんかいな」と
「古手買い」にも
「坐摩の前へ行ってひとつなんか買(こ)うて」なんて
出てきますから
古着屋なんかが多かったのでしょうか。



坐摩神社の東側に古そうな大きな石でできた石垣。
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南御堂ですね。
浄土真宗大谷派(お東)難波別院のこと。

正徳 4 年(1714 年)に
幕府から大坂城の外堀の石垣をもらったそうですが。
その石なんでしょうか。

境内の松尾芭蕉の辞世の句碑に会って行きましょう。
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芭蕉は南御堂の東側で一期を終えました。
今の御堂筋の中ですね。

「旅に病(やん)でゆめは枯野をかけまはる」

創建時の名は「大谷本願寺」らしい。
芭蕉の句碑の左の今は展示だけの梵鐘には
「大谷本願寺 文禄 5 年(1596 年)」の
銘があるそうな。



御堂筋を北へ進めば北御堂。
浄土真宗本願寺派(お西)津村別院のこと。
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ここも立派な石垣の上にありますが
この石や建造物はあまりにも近代的ですね。

どうして「津村」別院というのか
長い間!不思議でしたが
「津村」とは
圓江(つぶらえ)がなまったもののようです。

昔のこのあたりはたくさんの河口
多くの三角州
あまたの入り江。

丸い形の入り江があったとか。
だから!圓(円)の江という名。
やがて!といっても
どんな事情や年数があったのか分かりませんが
その「つぶらえ」が「つむら」になったといいます。



圓江(つぶらえ)には
圓神祠(つぶらしんし)という
さらに古い神社があったそうな。

今の御霊(ごりょう)神社でしょうか。

北に進めば鳥居が。
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御霊神社の鳥居に違いありませんが。
神社までの参道が?!
参道にで~んとビルが横たわっています!?

迂回すればありましたけど。

「文楽座之跡」の碑がありました。
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難波神社の稲荷社文楽座が
九条新地に行った留守をついて
「御霊文楽座」(1884 ~ 1926)が造られていました。



歩いていて!書いていて!
春の猫の恋のように浮かれて
騒々しく走り回っていた時代には
考えもしなかった歴史が垣間見えましたが
余計になにがなんやら。
ああ!
頭の中!
春の蝶々が飛んでいます!てふてふと。
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