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白いごはんが好き [もっそうライス]

勝海舟(1823 ~ 1899)語録の
氷川清話(ひかわせいわ)に
「とっくり搗(づ)き」が出てきます。

とっくりの中に玄米を入れて
樫(かし)の棒でこつこつ搗いたそうな。

白米は高いので自分で搗くのですね。

少しの玄米でも買えるものはまだいい方で
米のとぎ汁をもらって生きていた人もいた
時代のこと。

そんな貧しい生活なのに
白いごはんを炊くのですね。
玄米のまま食べることは考えないんでしょうか。

宮沢賢治(1896 ~ 1933)は雨ニモマケズ

一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ

といっていますが。



白いごはんといえば
孔子(前552 ~ 前479)の日常生活が垣間見える
論語の郷党篇に

食不厭精(いいはしらげをいとわず)

なんてありますね。

「食(いい)」とは米のごはん?!
よく精白したごはんしか食べない!?

貝塚茂樹訳・解説によると
孔子は現代の食通に似ているそうな。

白いごはん
切りめの正しい肉
だしのよくきいた料理
自家製の
自分の好みに合った
酒と乾物でないと口にしない

なんといううるさい(?)じいさんでしょう!

不衛生だったり!
インフラ(infrastructure)が稚拙だったりの
時代がそうさせたのかも知れませんが。



ん!?
精白したごはん?!
どんな炊き方だったのでしょうか。

近世のはなしに飛びますが
植物学者の中尾佐助(1916 ~ 1993)が
昭和 18 年(1943 年)の満州国で
毎日!漢人の炊くごはんを食べたといいます。

そのめしがひどくパラパラだったとか。
(中尾佐助著/料理の起源)

それは湯取り法!
水をたくさん入れて火にかけ
どんどん煮汁を捨てて炊くやり方らしい。

ついでに同著から拾い読みすれば他に
湯立て法
炊き干し法
二度飯法!三度飯法
蒸し飯法
笊(ざる)取り法
米の炊き方はたくさんありますねぇ。



日本の歴史では
弥生時代には
玄米を粥(かゆ)にして食べたらしい。

古墳時代に蒸す方法があらわれたとか。
つまり強飯(こわいい)!おこわですね。

弥生時代からつづいていた粥が
平安時代に汁粥と固粥(かたがゆ)に分かれます。
固粥は姫飯(ひめいい)とも呼ばれ
今の日本のごはんの基本形の
炊き干し法になったのですか。

粥から変化したのが前期炊き干し法。
湯取り法から生まれたのが
後期炊き干し法というらしい。

ん?!
なにがなんやら。



時代はうんと若くなりますが
清朝時代の袁枚(1716 ~ 1797)は
その著・随園食単/青木正児訳/に
古人は蒸したごはんを食べたが
ごはんは蒸したごとく煮(た)けといっています。

手順はよく分かりませんが
今の日本のごはんに似てないですか!これは。

それはともかく詩経に
之を釈ぐ叟叟たり(これをとぐ そうそうたり)
之を蒸す浮浮たり(これをむす ぽうぽうたり)
とあるそうな。

詩経は周時代のもの?!
孔子の生きた時代じゃないですか。

孔子は蒸した白米を食べていたのでしょうか。



孔子から 2500 年も経って
もしかしたら蒸したごはん?!
蒸気炊きのごはんかも。
blog51.jpg

「野外炊具1号(改)」というくるま。
陸上自衛隊の調理車です。

屋外で主食・副食 200 人分を
45 分で調理するというすぐれもの。

蒸気ではありませんでした。

灯油を(たぶん加圧)燃焼させています。
ごはんは水と米を混ぜて還流式炊飯器で炊くのですが
これは一般のごはんの炊き方!
すなわち!炊き干し法ですね。

こんなごはんです。
blog52.jpg

「野外炊具1号(改)」は
現在!演習のときに大活躍しているそうな。

演習?!
演習とはいえ!戦闘態勢でしょ!
そんなときのレーション(糧食)が?!
カンメシ(缶詰)!レトルトごはん!アルファ米!等々
簡便なものがいっぱいありませんか。

「予算が、、、!」
「これで作るのが一番安くつくんです」と
炊事班の(たぶん)班長の弁。

予算をつけなさい!
戦争に負けますよ。
周辺のならずものの国にあなどられますよ。



私は白いごはんが好き!
最後の晩餐はこれでいい!
そんな結論を書くつもりでしたが
駄文はすでに澪(みお)をそれて
荒れ山を登り始めたので筆を
いや!キーボードから手をはずします。



(敬称略)
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