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幸せ食堂のバイキング [たべほ!ブフェ!バイキング!]

道頓堀といえば繁華街の名前ですが
道頓堀川は 3km もない堀川
ほぼ東西に一直線に流れています。

東にどんどんさかのぼって下大和橋の上。
向こうに見えるのが東詰め!最上流かな。
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上の橋が阪神高速道。
下の橋はなにかの作業用の仮設橋かも。

観光船が左に回って消えました。

その消えた方に回ると上大和橋。
橋の上から見える川は
東横堀川と名を変えていました。
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東横堀川は豊臣秀吉の大坂城(大阪城)の堀。
つまり 16 世紀の末には完成していたもの。
道頓堀川を掘削してふたつを直角につないだのは
江戸時代になってからなので
上大和橋あたりが東横堀川の端っこだったのですね。



東横堀川の東に並んで走る松屋町筋に出ると
なんでしょうか。
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卒塔婆(そとうば)みたいなもの。
交通量の多い公道に!ですよ。

その柱の向こうに「ハングル」がゆらゆら。
「幸せ食堂」という日本語も。

韓国風の居酒屋兼食堂らしい。

ランチバイキングがありました。
800 円。
いただきます。
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ああ!思い出しました!
こんなとき!
韓国の人の多くは
ビビンバにして
ごはんと混ぜて食べていましたね。

私はそんな食べ方は苦手なので
箸でひと口ずづいただきます。

食器を持つのはマナー違反でしょうけど
どうしても茶碗を置いては食べられません。

ママさんは日本にきて 2 年というのに
私の周囲の
わがままおじさんやおばさんたちより
日本語が達者です。

はは!
バンザイして寝ているにゃんこ?!がいっぱい。
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「私がデザインしました」とママさん。

キムチ類がおいしかったので
食後のあまり甘くない
甘酒(かな?)のお茶受けに。
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  こころこころの あきなひも
  みな世渡りの 大和橋
  下行く水の 泡よりも
  色にぞ銀(かね)は 消えやすく

近松門左衛門作の「生玉心中」
「大和橋出見世の場」のかたり。

18 世紀初めには
上・下大和橋周辺は
物資の集散地だったのですね。
ハブ港として栄えていたようです。

諸国の人の往来で
にぎやかだったことでしょう。

ここで高麗(韓国)の食事をするのも
前世の因縁なのかな。
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