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桃ケ池で探そう桃源郷 [解語の枯れ尾花]

わが家の庭(?)の桃ケ池の春。
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桃ケ池ですから「桃」です。
花桃が咲くのですが。
その花桃!年々元気がなくなっているような。
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昭和 55 年(1980 年)の読売新聞の記事では
桃の木が 209 本!
え!そんなにあったの?!
100 本もありますか!今。
数えたことはないのですが。



もともと!この池は
「股ケ池」とか「百ケ池」とか「脛ケ池」とか
表記されていたようです。

昭和 18 年(1943 年)に阿倍野区ができたとき
桃ケ池や桃ケ池町の名称を作ったのかと
最近!流れてきた新参ものの
私なんかは考えていたのですが
昭和 8 年(1933 年)
「桃ケ池公園竣工」ですって!?

「股」から「桃」に漢字を変更したのは
案外古いのかも。

それでそのときに
花桃の木を植えたのかどうか知りませんが
今!元気がなくなっている桃の木が
80 年生だとは!とうてい!思えませんが。
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せいぜい!樹齢 2、3 十年?!
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しかも!どれもこれも若木さえも
リンチの後の瀕死(ひんし)の状態のよう!
気息えんえん!?
可哀そう。



果樹の桃の営利栽培の寿命は長くても 2、3 十年。
それに「いや地現象」もあって
栽培地が動いて行かざるをえないと習いましたが。

花桃もそうなら
苗木の更新だけでは
桃花の公園を維持できなくなるのでは。
私が心配することもないですが。

桃も桜もなくなって
雑木!たとえば!しだれ柳だけの
ゆうれいが似合う公園になっても
私は構いませんがね。



「桃」といえば
無学な私が無常を感じるとき思い出す詩。

 賢愚 千載 誰が是(ぜ)なるを知らんや
 滿眼の蓬蒿(ほうこう)共に一丘
 (注釈/荒井健)

北宋の黄庭堅(1045 ~ 1105)作
「清明」の終わりのところ。

その初めのところは

 佳節(かせつ)清明 桃李(とうり)笑み
 野田(やでん)荒壟(こうろう)ただ愁を生ず

です。

清明節(春分から 15 日後)はいい季節。
そのころは桃や李(スモモ)の花盛り。
清明節前後の詩歌にやたら「桃花」が出てきますね。

中唐(766 ~ 826)の崔護(私には出自不明)の

 去年の今日 この門の中
 人面 桃花 あい映じて紅なり
 (読み下し/石川忠久)

で始まる有名な詩「人面桃花」も
清明節のころ作ったようです。



日本の早春の花はいろいろあっても
やっぱり!桜。

中国の詩には桜が出てきませんね。

ときには「桜」という漢字を
白楽天(772 ~ 846)なんかが使っていますが
日本人のイメージの
エドヒガンやらソメイヨシノみたいな
はでな桜花ではなく
「ユスラウメ」のような可愛い花のような。

中国では「桃」ばかり。

桃の脇を固めるのは
「梨(なし)」と「海棠(かいどう)」でしょうか。

陶淵明(365 ~ 427)が
桃花源記に書いた理想郷も
桃の花の向こうにあったといいますからね。

「桃源(郷)」ですか。

わが家も桃の花の向こうにある、、、すると桃源郷?!
そんな訳ないですね。
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桃の花のむこうにあべのハルカスが見えるだけ。



桃源(郷)は求めても探せないそうな。
まぁ!しかし! 行ってみたい!
手に入れたい!と考える人は多い。

金持ちは自分で造ろうとしたりします。

張岱(1597 ~ 1689)著/
陶庵夢憶/松枝茂夫訳/に
文人政治家として有名な范文正の子孫が
文正の墓を取り囲んで
広大な庭園を造ったと書いていますね。

山のふもとの右手は「孤山」
梅の木が千本!

左手は「桃源」
そそり立つ岸壁と滝を配置し
そこに落花!
当然!桃の花びらでいっぱいになるように。

今もかの地にあるのでしょうか。

ま!そこに行ったからって幸せになれるのかどうか。
好きな人と行けばなれるでしょうけど。

そう!
桃源郷は求めても探せないけど
近くにあると陶淵明はいっているとか!いないとか。
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(敬称略)
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