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中華丼より高い八宝菜 [昼定食]

地下鉄御堂筋線・西田辺駅から少し北に行ったところの
「中華料理 昇龍」の日替わり定食。

この日は中華丼と鶏から揚げ。600 円。
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鶏肉を小海老に替えることもできますが。

4 月(2014/04/01)から消費税額が変更されましたが
値段は変更していませんね。

あ!?
昨年(2013/07/09)は 550 円でしたか。
昔が安かったから気づきませんでしたが。



私の「八宝菜」は
菊池寛でいう「親子丼」でしょうか。

かれは上京して親子丼に遭遇し
感動してトリコになったそうですが
私は長じてから初めて中華丼を食べて
その美味に涙が出ました。
それは場末の安価なものでしたが。
白菜のへた(?)
根元の白いところばかりが目立つ中華丼でしたが。



中華丼は
ごはんに八宝菜をかけた「丼」もの!ですよね。

「神戸の南京町に行ってきました」というおばさん。

「中華丼は安い!」

中華街で食事をしたようですね。
でも!南京町だけではないのです。
それはだいたいどこの中華料理店でもそうですよ。

「昇龍」のメニューでも。
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(一番上と一番下)

つまり
中華丼は
八宝菜より安価なんです。
もっと極端に差をつけている店舗もありますよ。

「八宝菜 + ごはん」より
「八宝菜」単体の方が高いのです。

八宝菜とごはんを別々に注文したら
とんでもない高価になります。あは。

ことばだけでいえばそうなんですが
なぜそうなのか!ご想像あれ。



ごはん。

私が知っている自称・高級割烹では
残っていたら!ただでくれますけどね。

保温ジャーの中で黄色くなっているもの。

失礼!
××十年!わが家にジャーがないものですから
知らなかったのですが
今どきのジャーはよくできていて
黄色くならないものらしい。

最近!かの店も客が減少して
炊飯しないようで
残ったごはんもないようですけど。

急な入り用なときには
レトルトのごはんで間に合わせている?!
だから!たぶん有料!ぼったくり?!

これが!おいしい。
下手に炊いたものより!
レトルトの方がありがたい!

失礼!
あのおじさん好みの柔らか過ぎるごはんが
私の口には合わない!と訂正します。
私が悪うございました。



(敬称略)
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西横堀川 疲れて憑かれて [わが街・大阪ブギウギ]

四ツ橋の交差点。
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その昔!南北に流れる西横堀川と
東西に走る長堀川が交差していたのですね。

ふたつの川が直角にぶつかって
なお!流れるなんて!
自然界では稀有のことかも知れませんが
人工の堀川ですからね。

それで!東西南北に四つの橋が架けられていて
四ツ橋という地名。

大・大阪時代というのが 100 年前にあったそうな。
産業も人口も日本一の時代。
このあたりにも日本一とうたう老舗が
たくさんあったのでしょう。

400 年ばかリ前からあった交差した川も
今は埋め立てられ
四ツ橋ともどもなんの面影もありません。



すぐ北に!新町橋の跡。
新町遊廓と船場を結んでいた橋。

新町遊廓といっても新しくありません。

「美に恵まれた子!美恵子と申します」といつも名乗る
ファニーフェースのおばさんのようなもんです。

豊臣秀吉の時代には(!!)新町だったのです。

昔の浮世絵が立っていました。
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すごい!鉄橋ですか。
明治 5 年(1872)鉄橋に架け替えられ
明治 8 年(1875)に改造されたそうですが
これはいつの時代の写生でしょうか。



西横堀川のあった上を
阪神高速 1 号環状線が通っています。
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このあたりは古い高速道路です。
昭和 39 年(1964)東京オリンピックの年に
土佐堀から湊町までまず部分開通したときのもの。

昔!大阪に紛れ込んだころ
地理も方角もなんにも分からず!
なんにも考えずに
その下を歩いていたものです。
また!今日もノーテンキに北上してみます。



火防陶器(ひぶせとうき)神社の参道は
上から高速道路にのしかかられて!苦しそうです。
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西横堀川があったとき!川沿いには
いくつもの材木商やら両替商やらが
大店(おおだな)を構えていたのでしょうけど
なんといっても!陶磁器を扱う店が集中!
瀬戸物町という名前でも呼ばれていたらしい。

陶磁器商は「火」を恐れます。
それで初めは
「火除(ひよけ)」地蔵尊を祀(まつ)っていたとか。

それからいくつか名前が変わり
今の「火防(ひぶせ)」の神になっても有為(うい)転変!
時代にも翻弄(ほんろう)されてさまよったあげく
今は坐摩神社に
居候(いそうろう)しているのでしょうか。
あ!合祀(ごうし)といわねばバチが当たるのかも。

坐摩神社は
私がこの境内で
仕事に身を入れず
浮名を流していたころには
「ざま」神社といっていましたが
「いかすり」神社が本名らしいです。



だからか! 奉納されている灯籠の多くは陶器製。
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狛犬も陶器ですね。
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ああ!結婚式をしている人もいますね。

私には遠い!どうでもいいことですが。

ついでにどうでもいいことをいいますと
瀬戸物商が「火」を恐れたのは
町中!燃えるものに囲まれていたからです。

陶器は燃えませんが
陶器を輸送してきたとき
大量の藁(わら)もきたんですねぇ。
当時の陶器の保護材は藁が一般的だったようです。

と!思うのですが
陶器や磁器の
焼成に関わる「火」からきた名づけなら!
すみません!あやまります。



そうだ!
高速道をはさんで西側に公園がありました。

ふと!訪ねてみたくなりました。

ああ!これでしたか。
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案外!小さな公園でしたね。

世間や朋輩の目を盗んだつもりで
私たちはこんなところでこそこそしていたのですね。
隠れたつもりでも
尻尾が見えていたのかも!恥ずかしい限り。

昔のキラキラしたものを
訪ねるもんじゃありません。
心の中でいつまでも
キラキラさせておけばいいだけのことでした。



信濃橋の親柱が残っています。
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地下鉄四つ橋線に信濃橋駅もあったのです。

中央線の本町駅を介して
御堂筋線の本町駅とつながり
三つの駅が合体!
信濃橋駅の名が消えてしまったのです。

ちなみに同じ大阪市の管轄するところで
「四ツ橋」と「四つ橋」と表示を使い分けています。
駅名は「四ツ橋」
路線名は「四つ橋」のように。

たとえば「夕陽丘」「夕陽ヶ丘」もそうなんですが
どうして大阪市は
不統一な表記を好むのでしょうか!複雑怪奇!
こんな行政にだれがした!!



さらに北へとぼとぼ。

京町堀川跡の碑。
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そんな堀川もあったということ。

伏見呉服町の碑。
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大阪城築城時に
京の伏見から呉服商人が移されたのでしょう。

筋違橋(すじかいばし)の親柱。
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川に斜めに架かっていたから「すじかい」橋。

橋の近くに有名な鮨屋があったので
「すしかい」橋ともいったらしい。



土佐堀川に出ました。

大川(旧・淀川)が中之島をはさんで
堂島川と土佐堀川に分かれます。

その土佐堀川が
このあたりでは東から西に流れています。

ここから分流して
南に向かって西横堀川が流れていたのですね。
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後半!つまらん感傷にまとわれて
ひとり疲れて!惰性で歩くだけでした。
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カワラヒワ ベーコン炒め 間接キッス [お命!いただきます]

なにか気配を感じます。

早朝です。
夢の中でしょうか。
やさしい気配ですが。
「気配」とは激しいものは少ないでしょうけど。

あ!?
菜の花が、、、!
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未熟な菜の花のタネ、、、
ま!ナタネというのでしょうけど
ガジガジかまれて(?)います。

カワラヒワ?!

今年も帰ってきたのでしょうか。

またの朝。
またもや、、、なにかの気配。

お!?
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やっぱり!
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ほんの少しの動きで
さっと消えてしまう繊細な気持ちを持った鳥ですので
レースのカーテン越しの撮影。



私もなにか食べましょう。

菜の花の近くで
フランスからきた種子をまいて育てた
食用タンポポの葉が元気です。

ダンデライオン(dandelion)!
そう種子の袋に書いてあったもの。
ほとんど!
というより!
道端のセイヨウタンポポといわれても
私には区別できませんが。はは。

今年の春も
わが家の白花タンポポが
みんな「うどんこ病」にかかりましたが
このタンポポだけは被害を見ません。
外来植物はコンクリートジャングルでは強いのです。



ベーコンをフライパンでから煎りして
タンポポの葉を切って入れます。

以前は下茹でしていたのですが
生のまま直接入れても構わないような気がします。

胡椒とだし醤油をふりかけておしまい。
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ほろ苦い!
よい子は食べられますが
阿呆に育った子はイヤがるかな。



柳田国男(國男)(1875 ~ 1962)著/野草雑記に
蒲公英(タンポポ)の方言がありますが。

千葉県上総(かずさ)はニガナ
鹿児島県奄美(あまみ)大島ではニギャナ

苦い菜だったのでしょうね。

タンポポの方言は無数にあったものの
いずれの地でも山菜だったのでしょう。
しかし!
山菜から野菜には移行しなかったようですね。

「蒲公英銘鑑」という図鑑が
天保 12 年(1841)に発行されたそうな。
(サンケイ新聞社会部編/甦れ 小さな生きものたち)

江戸時代に武士から町人まで
タンポポの珍品栽培がはやって
品種改良がさかんだったのですね。

それは花とか葉とかの形状ばかりで
食材としての改良はなかったようです。

ということは
苦味を軽減させる努力はなかったのですね!
今日まで。



そんな生産性のないことを考えながら
オンザロックをやっつけます。

「ちょっと!飲んでみ!」
「ちょっと!間接キッスしてみ!」と
石原さとみがいっていた
「ふんわり鏡月(サントリー販売・韓国焼酎?)」を。
blog00鏡月.jpg

石原さとみがCMで飲んでいたのは
「ゆず」味かも知れませんが。
「アセロラ」と「うめ」もありました。

「ふんわり鏡月」は
アルコール度数が低いので(16 度)
薄めることなくストレートでいきます。

ああ!だいぶ飲んじまった。
「開栓後は早くお飲みください」と
書いてあるもん。



(敬称略)
タグ:柳田國男
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9年目のはぐれ鳥 [蛇足ながら]

特に個人的な
誕生日やらなんとか記念日やらというのは
興味や関心がないので
正確に思い出さなくてもいいのですが
ここ 1 両日に
このブログが 9 年目に突入します。

小学 1 年生だったのなら
義務教育最後の年になりますよ。
ときの流れを思うと気が遠くなります。

ブログを始めた動機は
いくつかあったとは思いますが
今!つらつら考えるに
無一文になって!
気を紛らすためでもあったような。

それで丸 8 年。
ちっとも生活に改善はありませぬ。
その間にもっとどん底の悲哀も味わいました。
よく生きているものです。はは。



1 日 1 エントリー。
毎日なにか書いていたのですが
文章も撮影も上達しないものですね。

なにごとも持って生まれたセンス・感性が
一生支配すると信じています。

それで!無駄な努力もしません!
努力は嫌いです。

血へどを吐いて努力したからって
だれもがイチローのような
プロ野球選手になれる訳でもなく
詳細なレシピがあっても
料理名人と同じ料理はできません。

木に登れる豚はなん頭もいません。



そう!
「なん頭」?!

「何頭」を「なん頭」と書くようになりましたね。

なぜか!この 8 年間に
「何」の字が嫌いになったようです。

「彼女」も「彼」の字が嫌いになって
「かの女」と意識的に表しています。

「言」という漢字も嫌い?!
「いう」とか「ことば」とかは仮名表記していますね。

「行く」は漢字を使うのに
「来る」は「くる」と表現する方が多いこのごろ。

そう!「このごろ」の「頃」は平仮名。

「おね~さん方」の「方」は絶対に漢字で
「おね~さんたち」の「たち」は平仮名。
変でしょうか。

日々あらたにクセやこだわりが形成されています。

みなさん!どうしているんでしょう。
どうしていてもいいのですが。



人生に達観してか疲れてか
最近は新聞!TV!ラジオ!
もちろん Web のニュースにも
まったくといっていいほど接しなくなりました。

見ればハラの立つことばかりですから。

それでも!厚顔無恥に息をしていますが
それでか!最近の日本語が分かりません。
親しい友人もいなくて会話が少ないのか
特に流行語にはちんぷんかんぷん。

そして!
その流行語がすぐ死語になっていますね。



私が多用している
「アラフォー(around 40)」という流行語も
すでに死語になっているのかも。

アラフォーのおね~さん方とは
まとめて初めから知り合った訳ではありません。
この 8 年間にぽつりぽつりと知己を得て
可愛がっていただくようになりました。

最初の出会いのときにはアラフォー!
みなさん 30 代後半から 40 代の初め!たぶん。
そして今!淑女たちの中には
この長い間に四捨五入したら 50 歳!?
「around 50 」になっている方がいるのかも。

「アラフィフ」という単語があるのでしょうか。

いくらほうれい線が深くなっても
私には慈しみ深いほほえみ!
かの女たちを愛してやむものですか。



アラフィフ(!)の疑いのある人
それとなく!年齢を確認してみますか。

“ぼちぼち産みましょうよ”

「え?!」

“日本の明日のために”

「なにさ!?」

“いや!卵母細胞が消滅してしまわないうちに”
“卵子の凍結保存を考えてもいいのかと、、、”
“どのくらい残っていそうですか!卵子!”

「余計なお世話よっ!」

“すんましぇ~ん”
遠まわしに聞いたつもりなんですが。

今までアラフォーと呼ばせていただいた
おね~さん方はこれからも当分!
やっぱり!アラフォーと呼ばせていただきます。



「産む」とか「産まない」とかといえば
おね~さん方といっしょに徒党を組んで
蒜山(ひるぜん)に行きましたね。
そして勝手に歩いて
また!いっしょに帰ったことを思い出しました。
拙ブログ 2011/10/01

蒜山には B 級グルメ
ひるぜん焼きそば」なるものがありました。

親鶏の肉。
味噌味。

親鶏とは老いて卵母細胞(!)がなくなった鶏。
淑女と鶏の産卵を重ねていて!すみません。

ちょっと休憩。

鶏肉とうどんをオリーブ油で焼きます。
田舎味噌だけで調味。

アラフォーのおね~さんの中でパセリ好きがいます。

パセリをバターで炒めて
だし醤油をふりかけて
焼きうどんにトッピング。

蒜山風アラフォー焼きうどんをどうぞ。
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栖栖失群鳥
 せいせいたり むれをうしなえるとり
日暮猶獨飛
 ひ くれて なおひとりとぶ
徘徊無定止
 はいかいして ていしするなく
夜夜聲轉悲
 よよ こえはうたたかなし

はぐれ鳥は夜になっても
悲しく泣きながら飛んでいます。

そんなはぐれ鳥の 9 年目。
あいも変わらず!支離滅裂!バラバラ。
チャールストン風つづり方。



(敬称略)
漢詩は陶淵明(365 ~ 427)/
松枝茂夫・和田武司訳/を読みました。
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サントリー山崎蒸留所にて [工場見学]

ウイスキーのサントリー山崎蒸留所。
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まず!「山崎ウイスキー館」に。
原酒がいっぱい。
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2 階の展示コーナーにはポスターがいっぱい。
男性たちが喜んでいます?!
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昭和 30 年(1955)ごろの映画館のポスター。
余談ですが
大阪のこの時代の映画館は
ヌードショー(ストリップショー)と
映画の両方を鑑賞できていたのですね。

その映画館の広告。
よくまぁ!保存していたものです。



工場見学します。
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最近!よく工場見学をしていますね。
すぐ!ブログにのせるものですから
あれこれサボっているのがバレています。
他に書きそびれた工場見学もありますから
罪は深そう。

サントリー山崎蒸留所にもよくきています。

今回同道の
アラフォー(around 40)女史のひとりが
そもそも工場見学なんて初めてらしくて
喜んでいるのを見たら!ま!いいか
こちらもうれしくなって。
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ヤマブキの花盛り。
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でも!ここは隣接しているけど
よその神社の境内だと思いますが。



試飲です。
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「山崎」と「白州」どちらも炭酸水割りで。
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これは「山崎」
ま!画像に違いはありませんので
「白州」の画像は省略します!あは。

なにかものたりなくて
「山崎ウイスキー館」にもどって
テイスティングカウンターで有料試飲。はは。
だいたい 10ml から 15ml 試飲で 100 円。
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あ!
10ml 15000 円のもの!
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見ただけで酔っぱらいました。



某国営放送みたいなTV局の
平成 26 年度後期の朝の連続ドラマは
「マッサン」だそうです。

マッサンとは政孝
竹鶴政孝のことでしょうか。

竹鶴政孝著/ウイスキーと私/を読むと
日本国産ウイスキーの黎明期のことが
詳細に書かれています。

竹鶴政孝が
洋酒の寿屋(後のサントリー)に招かれて
この山崎蒸留所を立ち上げています。

工場や機械の設計
発注から
工場の人員の確保まで獅子奮迅の活躍。

それが今
この蒸留所を回っても
まったく!竹鶴の名前が出てきません。

不思議ですね。

ドラマではどうなるのでしょうか。



(敬称略)
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