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川と女と酒と油の大山崎 [野道!山道!恋はけもの道!]

「桂川」の石標があります。
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「三川合流点から 0.0km」とも刻んであります。
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「三川合流点」だけでもいいような。
ややこしいと思うのは私だけでしょうか。

木津川と宇治川と桂川が合流して淀川になります。
といって!いきなり 1 点でぶつかれば
洪水時には莫大なエネルギーがどっか~ん!
なので!各河川の間に仕切りの中州を造って
しばらく並走してから
「三川合流」するようにしているような。

近くに立つと
近過ぎて 3 川の形がまったく分かりません。

少し下れば急流があります。
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「桂川の早瀬」というのがここでしょうか。
真冬!このあたりに
コイ(鯉)などが集まっているといわれています。
年中!
温度変化の少ない伏流水が湧いているのかも。



このあたりに
「狐の渡し」や「山崎の渡し」があったのでしょうか。

「狐の渡し」は「糞尿」の積み替え地。
「糞尿」は大切な肥料だった時代。

「山崎の渡し」は
橋本遊廓と山崎聖天を結んでいたのですね。

遊廓・遊女大好き人間とのたまう作曲家が
橋本遊廓で追加料金を踏み倒して
渡しに乗ってこちらに向かって逃げたそうな。

しかし!途中の中州で捕まってしまいます。
渡し舟は中州で乗り換える仕組みだったのです。
(小林亜星著/あざみ白書)

ということだけを記憶していますが
実は人間ばかりではなく
この渡しは灯明油の輸送ルートでもあったのですね。

大山崎は「製油発祥の地」と名乗っています。
「えごま(荏胡麻)油」ですか。

離宮八幡宮に
えごまから油をしぼる機械の模型がありますね。
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この地はこの灯明油で財を集めていたそうな。



西国街道の関大明神社。
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摂津の国と山背(やましろ)の国の国境
山崎の関のあったところだとか。

今も大阪府と京都府の堺。
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歩いていても
今!キーボードをたたいていても
腑に落ちないのが呼称の入り混じり。

どこへ行っても「山崎」と「大山崎」が混在。

「山崎」イコール「大山崎」なのか
用途(?)によってつかい分けているのか
さっぱり分かりません。

古くは行基(668 ~ 749)が
淀川に六つの橋を架けたそうな。
そのひとつの山崎橋が
「山崎」の名称の嚆矢(こうし)でしょうか。



「川はないのに大川郡」
その昔!
四国は讃岐出身のおじさんがいっていました。

ため池のばかりの里に大川なんてありません。
大内郡と寒川郡がいっしょになって
大川郡という造語ができたそうな。

「大山崎」も
「山崎」とどこかがくっついたのですか?!

「くっついていません」
「むしろ!ちぎられています」
と!地元の人がいっていました。

大山崎荘を大阪と京都が引っ張り合って
分裂したそうです。
「大山崎荘」?!
また!知らなかった単語が出てきましたね。

あ!?
大阪府側は島本町山崎。
ちなみに島本町にあるサントリーのウイスキー工場は
「山崎蒸留所」ですが。

京都府側は大山崎町。
京都府で一番面積のない自治体ですが
「大」がつきます。



しかし!大山崎荘とは!
ここは荘園だったのですか。
自由都市だったのですか。
ますます分からなくなってしまいました。



(敬称略)
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