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鞆の浦 ささやき橋 [町道!街道!眠り未だ足らず]

ささやかな!故(ゆえ)あって
いきなり!鞆の浦(とものうら)にきました。
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広島県は福山市らしい。

あの!
あのといっても
どの「あの」か!頭が混乱していますが
あの!風待ち港の!
お女郎衆が袖を引く港ですよね!たぶん。

予備知識なくきたものはあわてます。



どうして!そう!
フーゾク関係に気が行くのでしょう。
もっと清純な心にもどって考えれば
万葉集に
大伴旅人(おおとものたびと 665 ~ 731)の歌が
いくつかありましたか。

吾妹子之 見師鞆浦之 天木香樹者
常世有跡 見之人曾奈吉

(わぎもこが みしとものうらの むろのきは)
(とこよにあれど みしひとぞなき)(読み/斎藤茂吉)

旅人が大宰府から帰京する際に作った歌。
赴任のときにはいっしょだった妻
大伴郎女(おおとものいらつめ)は九州で亡くなりました。

あのときにふたりで見た
「むろのき」は変わりないけど
あなたはもういない!ああ。

そんな妻をしのぶ歌をこのとき 3 首残していますが。

とはいうのもの
旅人はもう次の妻を伴って舟に乗っていたはず。

すみません!ケチばかりつけて!
素直じゃないもんで。

ちなみに「むろのき」とは
斎藤茂吉は「杜松(としょう)」だといいますが。



古そうな灯台がありますね。
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石だたみの道も風情(ふぜい)が感じられます。
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「ささやき橋!ささやきばし!行きたい!」

同行のアラフォー(around 40)の年中発情の!
いや!恋多き!夢見るおね~さまが叫びます。

なんですかぁ!?
そんな名所があるんですか。

あんまり広い町ではないので
すぐ発見できましたが。
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あは!これ!橋ですか!?
失礼ですけど。
幅員が 1m もありませんが。

横の案内板によると
応神天皇のころ
百済の使節の接待役が
官妓と恋に落ちて
夜ごとこの橋にきてささやきあっていたとか。

官妓とはなんぞや?!
朝鮮半島のキーセンみたいなものでしょうか。
現代でいうキーセンではなく
歌舞などの芸を見せる人たち。



それはさておき
神功皇后や応神天皇ばかり歴史に出てくる時代!
この時代から皇統の匂いが変わっていませんか。
天皇家の血が全面的に入れ替わったような。
不謹慎な仮説!
叱られますので他言は無用に存じます。

激変時代ですから
応神帝のことは古事記・日本書紀に詳しいのに
「ささやき」の恋のはなしが出ていません。

ホントのことなんでしょうか。

遊女の白粉(おしろい)の匂いの
充満した街だけに生まれた一服の清涼剤!?
心ほんわか!ほっとさせる幻かも。



「ささやき橋」の横に
山中鹿之助(1545 ~ 1578)の首塚がありますね。
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滅びゆく尼子軍の勇士。
「われに七難八苦を与えたまえ」と
三日月に祈る場面!
講談の有名なクライマックスがありますが。

鹿之助はここで死んだ訳ではないとか。
首だけ運ばれてきたのですね。
ホントでしょうか。



町を歩けば寺院にあたります。
あたるような気がします。
やたら!お寺が多い?!

古い歴史の中に
寺院の集中をうながすなにかがあったのでしょうか。

あれ!
森下仁丹の琺瑯(ほうろう)看板!
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京都市内には多かった住所表示。

京都では最近新しく作られてもいるようですが
鞆の浦もそうでしたか。

あ!今!なにげなく
森下仁丹の情報誌/仁丹堂(2014/05)/を見たら

  創業者森下博の生誕地
  広島県福山市鞆(とも)町に
  琺瑯(ほうろう)看板を寄贈

という記事がありました。

寄贈したのは最近(2014/02/11)だったのですね。



(敬称略)
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