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駒川探検記 [わが街・下駄ばきドドンパ]

大阪市生野区林寺 4 丁目。
今川に架かる橋の上から見ると
左岸に小川が流れ込んでいます。
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小川ほどの幅員ですが
渓谷のように深い底に水があります。

ここが駒川の終焉でしょうか。

駒川といえば
駒川商店街しか思いつきません。
大阪市では
上位 3 指に入りそうなにぎやかな商店街。

ちゃんと川が流れているのですね。

さかのぼります。

すぐ!奥村橋。
橋のたもとに崩れそうな石碑が残っています。
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大坂(大阪)と奈良を結ぶ街道が
駒川を渡るところに
1853 年
奥村某という奇特な人が
米寿の記念に石橋を架けてほめられて
橋の名前になったそうな。



このあたりはよどんでいて!透明度が悪く
水の動きが見えません。
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「川のよどみをバカにしちゃいかん」

といっていた今は行方不明の老人の顔が
五月の空を写す水面に浮かびました。

  川のよどみに 石を投げる
  なんという寂しい 水の音か

カラオケ喫茶に連れて行ってくれて
石原裕次郎の歌を聞かされました。
聞きたくもなかったのですが。
私は上手でも下手でも
シロートの歌を聞くなんてのは
千日回峰行よりつらいのです。
千日回峰行をしたことがありませんが。

老人は歌いたかっただけかも?!
それだけの思い出がふっと脳裏をよぎります。
ああ!なにかのたたり!?おぞましい。



結構!水草はあります。
死の川でもないような。

ああ!アカミミガメ!
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ここにもたくさん棲んでいるようです。
顔の両側の赤い色がおぞましい。

小橋がやたら架かっています。
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ん?!
左岸しか川沿いの道はないのかな。
右岸の家のエントランスが橋なのかも。



有名な駒川商店街の北の入り口に着きました。
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ここから南に 540m アーケード街がつづきます。
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その商店街に並行して西側に駒川があります。
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このあたりでは
透明度のある水がさらさら流れています。

お!すごい。
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川の上に遊歩道を造っています。
この川沿いはずっと建て込んでいて
公道の幅員がないんですよね。
スペースがないところで考えましたね。
大阪市も少しは頭を使っていますね。

なんと!この狭い川も一級河川のようです。
が!大阪市が管理を委託されているようですね。



水底だけ見たら清流のようになりました。
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カルガモのカップルが昼寝しています。

ついに行き止まり?!
暗渠(あんきょ)みたいで!格子がはまっています。
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東住吉区鷹合 3 丁目あたり。

水はふたつのパイプみたいなところから出ていますが。
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ここまで川の長さは 3.5km くらい。



このまま南に川の跡のような道路がつづいています。

道なりに歩けば 15 分ばかりで大和川に出ました。

下高野橋があります。
下高野橋は架け替え工事をしていました。

しかし!どこを見ても水の取り込み口がありません。
架け替え工事でふさがっているようにも見えません。

堺市側に渡って上流から見ても!
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下流に移動して見ても。
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大和川はもともとここにはなかった訳です。

1704 年に付け替え工事が施工され
駒川は突然!横っ腹から断ち切られたのですね。

下高野橋のほぼ真南!かなり離れたところ
地図で見ると 10km ばかり南に
狭山池があります。

そこから流れてきていたらしい。
今もそのルートに西除川という川を認められますが
その東側にあった川らしい。

下高野橋から西の方に依網池(よさみいけ)という
日本最古のため池があったらしい。
大和川がやってきて取り込まれて
今は消滅しています。
そこも駒川の源流だったようです。

とはいうものの
今!流れている以上!今の源流があるはず。
あのパイプのようなところから出ている水は
なんなのでしょう。



(追記)
東住吉区のHPによると
あのパイプからの水は
大和川とは縁がありませんでした。

大阪市平野下水処理場からきているようです。
砂濾過された高度処理水が
駒川の源流だったのですか。



(敬称略)
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