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伏見桃山陵 乃木神社 愚庵 [猫も歩けば棒立ち]

石段を上ります。
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23 段を 10 度繰り返します。
つまり 230 段を
バカですね!
このところ足腰に痛みがあるのに
止まると動けなくなるような気がして
一気に急いで上れば!
伏見桃山陵(明治天皇陵)の正面。
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明治天皇(1852 ~ 1912)は
広くてさわやかなところでお休みですね。

皮肉屋の私はこの広いお休みどころから

  ささやかに 見ゆる家居も かたつふり
   ひとりすむには ことたりぬべし

明治天皇が蝸牛(かたつむり)を詠(よ)んだ歌を
引き合いに出します。

かたつむりはとても小さな家を背負っているけど
ひとりで棲むには充分だろう!という意味でしょう。
「家居」は「いえい」と読むんでしょうなぁ。

神輿(みこし)の上だけの人生だった明治天皇は
亡くなっても広く目立つ場所に、、、。
もしかして 1 度くらい
ささやかな家に隠れて住んでみたかったのかも。



ここは見晴らしのいい丘の上。
きれいなトイレがあり
ランチに最適な場所ですが
御陵内ですから!飲食は厳禁です。

明治天皇は歌を 93032 首残されているそうな。
この数からいえば
歌人と呼ばねばならないのでは。

食べものの歌はあるのでしょうか。
まずないでしょうね。
年中!餓(かつ)えている私とは違います。

16 歳まで京都で育った明治天皇は
琵琶湖の小魚なんかが好物だったそうです。

  鰉(ひがい)とる ふねもみえけり ささなみの
   志賀の浦わの 秋の夜の月

とりわけ!ヒガイを好まれたようですが
ヒガイは小骨が多く
大昔に宇治川で捕って食べたときには
シモジモの私には
あんまりおいしい魚と思えなかった?!
そんな気がしますが。



広い参道を西に帰ります。
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伏見桃山陵より少し低いところに
乃木神社があります。

乃木希典(1849 ~ 1912)は
明治天皇大葬の日に殉死したので
お祀(まつ)りの社も
明治天皇のそばにあるのですね。

軍神!乃木希典なら
「勝ちま栗(かちまくり)祈願絵馬」ですか。
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おなかが空きましたね。
しかし!乃木将軍の歌。

  飢えるとも 穢(きたな)しものは 喰らはじと
   誓ふ心の 有ればこそ人

武人(もののふ)ですね。

神社の下に単線の線路があります。
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JRでしょうか。
奈良線ですかね。
なんと!のどかな。
軍神もいいですが!平和もいいですね。



あれ!?
近くの公道のお地蔵さまの横に碑が。
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「愚庵終焉の地」ですって。

愚庵は
「清水の次郎長の養子」「僧侶」「歌人」等々
消えそうな説明板がありましたが。

あんまりフツー(!)の人生ではないようですね。

ん?!
今なにげなく
山崎敏夫編/明治歌人集/を広げると
天田愚庵(1854 ~ 1904)の年譜と
いくつかの短歌がのっていました。

短歌の道には暗く
ま!明るい道は皆無ですが
天田愚庵なんてまったく知りませんぞ。
有名な歌人なんですか。



生まれたところは福島県。
15 歳で薩長軍を迎え撃つも完敗。
そのとき両親と妹が行方不明。
以降!両親を探して全国を歩く人生。
上京して神学校に学ぶも後に国学。
石油会社の株式募集旅行。
台湾に従軍。
旅回りの写真師。
清水の次郎長の養子。
開墾事業失敗。
次郎長の伝記/東海遊侠傳/を出版。
まだまだ!つづきます。

拾い読みしただけで
目まぐるしい人生だったことがうかがえます。

34 歳のとき!京都で得度していますが
両親を探して放浪行脚はつづき
晩年 47 歳にしてこの地に庵を構えたのですね。



庵室は四畳半と二畳!
後に三畳の間を増設したようですが
かたつむりの家のように狭い。

でも!
新築のときには誇らしげに詠(よ)んでいます。

  遠山は 葛城の山 志貴の山
   生駒の山の いたゝきも見ゆ

  靑丹よし 奈良の都の 春日野の
   春日の山も 霞みてそ見ゆ

今の大阪府から奈良県まで見られて
たいそう見晴らしがよかったのですね。

「愚庵の歌には」
「明らかに萬葉の格調が見られる」と
解説がありますが!どうでしょう。



私の人生には縁のない風景がある里です。



(敬称略)
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