蛍 飛べば切ない 西河原公園にて [手のひらを太陽に]
大阪府茨木市の西河原公園の小川。
蛍(ほたる)の棲む小川だとか。
午後から通り雨が 2 度 3 度。
たぶん!人工の川で!
作られた水のような気がしますが
それでも!ささにごりになっています。
かぶさっている木々が濡れています。
蛍が飛べるお膳立てができたような。
でも!暗闇になるまで 2 時間以上あります。
だれもいません。
腰をかけて
あんぱんの袋をべりべり
発泡酒をぷしゅ~とやったら
にゃんこ 10 匹(?)
やぶ蚊 1 万匹(?)に
包囲されました。あは。
ああ!
蛍といえばなぜか切ないですね。
麦の穂の匂い。
ユスラウメの赤い実。
陽が落ちて飛ぶ蛍。
訳もなく切なく!心細い。
遠い日のこと。
私は蛍から
いつもこんな風景がよみがえります。
夕殿下珠簾
せきでん しゅれんをおろし
流蛍飛復息
りゅうけい とんでまたいこう
長夜縫羅衣
ちょうや らいをぬう
思君此何極
きみおもうこと ここになんぞきわまらん
南斉の謝ちょう(ちょうは月偏に兆 464 ~ 499)の
「玉階怨」という五言絶句。(石川忠久読み下し)
夕暮れに御簾(みす)をおろせば
蛍が飛んできて休んでいます
長夜 縫いものをして過ごしています
あなたを思えばこの胸が痛みます
というような意味でしょうか。
この女性にだれからも
声がかからなくなったのですね。
それも!久しく!
寂しさがつづいている夜なんでしょう。
「長夜」ですから秋の詩かも。
浅学な私は
ただ切ない「長い夜」でいいような気がしますが
よいこは信じちゃだめですよ。
ん!?
この詩の作者は女性?それとも男性!?
写実より胸の深層風景かも。
西河原公園の小川沿いの外灯を
3 日間(2014/06/13 ~ 15)
午後 9 時まで点灯しないとか。
茨木市の職員が
小さな足元灯を置いて行きます。
3 日間は「ホタル観賞会」開催。
ゲンジボタルを
卵から屋内で飼育して
晩秋!幼虫を放流しているとか。
ここは成虫を放つことはないのですね。
さなぎから羽化は自然といえますか。
なかなかいい試みですね。
薄暮を過ぎると
やぶ蚊とにゃんこは消えて
どこからか見物人が湧いてきて
小川のふちに
ひとつふたつみっつ光り出しました。
しかし!
木々の間から漏れる
遠くの町の明かりの方がよく目立ちます。あは。
蛍の養殖歴は古いのですね。
昭和 56 年(1981)発行の
読売新聞日曜版編集部編/日本一物語/に
愛知県岡崎市の河合中学校とその地区の人が
15 年かけて
「ゲンジボタル養殖日本一」になったと
紹介されています。
大変なのですね!養殖は。
長い試行錯誤を繰り返したのです。
一昨年!某所で
ゲンジボタルの幼虫を
見せてもらったことがありました。
ゴミと変わりません。
これを育てて行かねばならないのですね。
蛍からはやはり!切ない恋を連想しませんか。
突然!年下の
帥宮(そちのみや 981 ~ 1007)がやってきます。
待ちかねていたのは
和泉式部(生年不詳 帥宮よりは年上)です。
やってくるのはいつも男。
待ちくたびれるのは女と決まっています。
そして夜が明けるころ
男は静かに帰って行く!それが恋の決まりです。
ところが月の夜に
帥宮はいきなり誘拐するように
和泉式部を連れ出してしまうのです。
「男と女の仲」の前例のない大胆不敵。
そしてだれにもじゃまされない屋敷の奥で
ふたりは抱き合って夜を過ごすのです。
余計に燃えますね。
月の明るい庭。
乱舞する蛍。
いがらしゆみこ作/和泉式部日記/には
無数の蛍が描かれていました。
ああ!なんというロマンチック!
と
あこがれたりしますが。
ん!?
少しおかしいのでは?!
月の光がまぶしい夜。
蛍の乱舞!?
今!私たちが暗くして!静かにして!
舞うのを待っているというのに。
原作には?!
「月もいと明かければ」とありますが
「蛍」の記述はないような。
すぐに帥宮は若くして旅立ちます。
和泉式部は恋しくて!狂おしくて!
ものおもへば 沢の蛍も 我が身より
あくがれいづる 魂(たま)かとぞみる
自分の心が
蛍になって抜け出して行くように見えたと
詠んでいますから
いがらし画伯は
あのしあわせの頂点で
蛍の乱舞を描いたのかも。
画伯が描く心象風景かな。
暗くなったら飛ぶ数も増えて
偶然にか写せたりしますが。
あ!
1 匹が前の男の子の肩に。
こんな近くに!早く撮れよとばかり。
やさしい蛍です。
(敬称略)
蛍(ほたる)の棲む小川だとか。
午後から通り雨が 2 度 3 度。
たぶん!人工の川で!
作られた水のような気がしますが
それでも!ささにごりになっています。
かぶさっている木々が濡れています。
蛍が飛べるお膳立てができたような。
でも!暗闇になるまで 2 時間以上あります。
だれもいません。
腰をかけて
あんぱんの袋をべりべり
発泡酒をぷしゅ~とやったら
にゃんこ 10 匹(?)
やぶ蚊 1 万匹(?)に
包囲されました。あは。
ああ!
蛍といえばなぜか切ないですね。
麦の穂の匂い。
ユスラウメの赤い実。
陽が落ちて飛ぶ蛍。
訳もなく切なく!心細い。
遠い日のこと。
私は蛍から
いつもこんな風景がよみがえります。
夕殿下珠簾
せきでん しゅれんをおろし
流蛍飛復息
りゅうけい とんでまたいこう
長夜縫羅衣
ちょうや らいをぬう
思君此何極
きみおもうこと ここになんぞきわまらん
南斉の謝ちょう(ちょうは月偏に兆 464 ~ 499)の
「玉階怨」という五言絶句。(石川忠久読み下し)
夕暮れに御簾(みす)をおろせば
蛍が飛んできて休んでいます
長夜 縫いものをして過ごしています
あなたを思えばこの胸が痛みます
というような意味でしょうか。
この女性にだれからも
声がかからなくなったのですね。
それも!久しく!
寂しさがつづいている夜なんでしょう。
「長夜」ですから秋の詩かも。
浅学な私は
ただ切ない「長い夜」でいいような気がしますが
よいこは信じちゃだめですよ。
ん!?
この詩の作者は女性?それとも男性!?
写実より胸の深層風景かも。
西河原公園の小川沿いの外灯を
3 日間(2014/06/13 ~ 15)
午後 9 時まで点灯しないとか。
茨木市の職員が
小さな足元灯を置いて行きます。
3 日間は「ホタル観賞会」開催。
ゲンジボタルを
卵から屋内で飼育して
晩秋!幼虫を放流しているとか。
ここは成虫を放つことはないのですね。
さなぎから羽化は自然といえますか。
なかなかいい試みですね。
薄暮を過ぎると
やぶ蚊とにゃんこは消えて
どこからか見物人が湧いてきて
小川のふちに
ひとつふたつみっつ光り出しました。
しかし!
木々の間から漏れる
遠くの町の明かりの方がよく目立ちます。あは。
蛍の養殖歴は古いのですね。
昭和 56 年(1981)発行の
読売新聞日曜版編集部編/日本一物語/に
愛知県岡崎市の河合中学校とその地区の人が
15 年かけて
「ゲンジボタル養殖日本一」になったと
紹介されています。
大変なのですね!養殖は。
長い試行錯誤を繰り返したのです。
一昨年!某所で
ゲンジボタルの幼虫を
見せてもらったことがありました。
ゴミと変わりません。
これを育てて行かねばならないのですね。
蛍からはやはり!切ない恋を連想しませんか。
突然!年下の
帥宮(そちのみや 981 ~ 1007)がやってきます。
待ちかねていたのは
和泉式部(生年不詳 帥宮よりは年上)です。
やってくるのはいつも男。
待ちくたびれるのは女と決まっています。
そして夜が明けるころ
男は静かに帰って行く!それが恋の決まりです。
ところが月の夜に
帥宮はいきなり誘拐するように
和泉式部を連れ出してしまうのです。
「男と女の仲」の前例のない大胆不敵。
そしてだれにもじゃまされない屋敷の奥で
ふたりは抱き合って夜を過ごすのです。
余計に燃えますね。
月の明るい庭。
乱舞する蛍。
いがらしゆみこ作/和泉式部日記/には
無数の蛍が描かれていました。
ああ!なんというロマンチック!
と
あこがれたりしますが。
ん!?
少しおかしいのでは?!
月の光がまぶしい夜。
蛍の乱舞!?
今!私たちが暗くして!静かにして!
舞うのを待っているというのに。
原作には?!
「月もいと明かければ」とありますが
「蛍」の記述はないような。
すぐに帥宮は若くして旅立ちます。
和泉式部は恋しくて!狂おしくて!
ものおもへば 沢の蛍も 我が身より
あくがれいづる 魂(たま)かとぞみる
自分の心が
蛍になって抜け出して行くように見えたと
詠んでいますから
いがらし画伯は
あのしあわせの頂点で
蛍の乱舞を描いたのかも。
画伯が描く心象風景かな。
暗くなったら飛ぶ数も増えて
偶然にか写せたりしますが。
あ!
1 匹が前の男の子の肩に。
こんな近くに!早く撮れよとばかり。
やさしい蛍です。
(敬称略)