大豆は畑の肉か [もっそうライス]
大豆(だいず)は日本に
相当古くからあるんですね。
古事記/福永武彦訳/によると
建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が
食物を管理していた
大気津比売神(おおけつひめのかみ)を殺したら
彼女の頭にカイコ(蚕)
目に稲
耳に粟(あわ)
鼻に小豆(あずき)
陰部に麦
尻に大豆が生じたといいます。
それで
稲!粟!小豆!麦!大豆を五穀というらしい。
でも!日本書紀/福永武彦訳/によると
殺されたのは保食神(うけもちのかみ)で
頭に牛・馬
額に粟
眉に繭(まゆ)
目に稗(ひえ)
腹に稲
陰部に麦と大豆と小豆が生えたといいます。
粟!稗!稲!麦!大豆!小豆!
六穀ですね?!
大豆と小豆を豆でひとくくりにすれば五穀ですけど。
みんな生食はできませんね。
それに大豆の生食は危険じゃないんですか。
たぶん!ツルマメから改良したのでしょうけど
つるをなくしてしまう画期的なことはできたのに
人間に有毒成分は残存しているのでは。
その神代の昔
大豆をどのようにして食べていたのでしょうか。
煮ていたのでしょうか。
「大豆は畑の肉」と
戦前派のお年寄りたちは念仏のように唱えますが
詳細なことは説明してくれません。あは。
オーストリアのウィーンで
万国農業博覧会が開催されたそうな。
明治 6 年(1873)のこと。
どうでもいいことですが
この博覧会の名称と日時が
私の手元の本によってまちまち。
どうして?!
ともかくそこへ日本は
大豆とテングサを出品したらしい。
そこで現地の学者が大豆を分析したところ
タンパク質と脂肪の含有量の高さから
「畑の肉」のことばができたと聞きましたが。
そんな大変な植物なのに
日本が手をこまねいているうちに
それに目をつけたアメリカが一大産地になり
今じゃ!大量にアメリカから輸入するはめに。
もっとも輸入は今に始まったことじゃない?!
満州鉄道(南満州鉄道 1906? ~ 1945?)が開通して
満州国と日本本土が簡単につながったあたりから
満州大豆が大量に輸入されたようですが。
大豆油!きなこ!味噌!醤油!納豆!
豆腐とその関連製品(豆乳とかゆばとか高野豆腐とか)
日本食に欠かせない食材ですが
大豆の加工品ばかり。
でも!記紀の時代にはどんな調理。
そんな加工品があったとは思いにくいのですが。
各地に今もある
小魚と煮た食べものくらい?!
作つけ面積世界一のアメリカでは
どのように消費しているのでしょうか。
単純に!大豆油しか思いつきません。
アメリカ人は大豆の粒食に
あまり関心がないのかも。
輸出戦略品か家畜のえさとしか思っていない!?
原産国かも知れない中国でも
豆腐なんかの原料でしょうか。
あんまり
豆の姿のままの料理はないのでしょうか。
ん!?
清朝の宮廷料理のレシピ集
愛新覚羅浩著/食在宮廷/に
「緑豆粥」がありました。
たぶん!ただひとつの粒食。
青い大豆と米を別々に煮てからいっしょにし
さらにとろ火で 20 分煮るとか。
味つけは書いてありません。
「緑豆粥」の前にあるレシピ「紅豆粥」
これは小豆の粥でしょうけど
これには砂糖や漬けものをのせて食べるとあります。
「緑豆粥」の次のレシピの
「荷葉(蓮の葉)粥」にも
砂糖をかけるとありますから
「緑豆粥」にも砂糖で調味していたのかも。
緑豆がなかったので枝豆を使いましょう。
砂糖でいいのかも知れません。
ぼたもちだって砂糖の入ったあんでくるむごはんもの。
粥におまじない程度の塩をふりましたが
なかなかの味ですよ。
白粥に乾燥納豆をトッピングして
醤油をたらしてもいいかもね。
乾燥納豆は
奈良の「ぜいたく豆本舗」で買った
糸引き納豆を乾燥させたもの。
生の納豆より
さらさらと食感がいいかも。
(敬称略)
相当古くからあるんですね。
古事記/福永武彦訳/によると
建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が
食物を管理していた
大気津比売神(おおけつひめのかみ)を殺したら
彼女の頭にカイコ(蚕)
目に稲
耳に粟(あわ)
鼻に小豆(あずき)
陰部に麦
尻に大豆が生じたといいます。
それで
稲!粟!小豆!麦!大豆を五穀というらしい。
でも!日本書紀/福永武彦訳/によると
殺されたのは保食神(うけもちのかみ)で
頭に牛・馬
額に粟
眉に繭(まゆ)
目に稗(ひえ)
腹に稲
陰部に麦と大豆と小豆が生えたといいます。
粟!稗!稲!麦!大豆!小豆!
六穀ですね?!
大豆と小豆を豆でひとくくりにすれば五穀ですけど。
みんな生食はできませんね。
それに大豆の生食は危険じゃないんですか。
たぶん!ツルマメから改良したのでしょうけど
つるをなくしてしまう画期的なことはできたのに
人間に有毒成分は残存しているのでは。
その神代の昔
大豆をどのようにして食べていたのでしょうか。
煮ていたのでしょうか。
「大豆は畑の肉」と
戦前派のお年寄りたちは念仏のように唱えますが
詳細なことは説明してくれません。あは。
オーストリアのウィーンで
万国農業博覧会が開催されたそうな。
明治 6 年(1873)のこと。
どうでもいいことですが
この博覧会の名称と日時が
私の手元の本によってまちまち。
どうして?!
ともかくそこへ日本は
大豆とテングサを出品したらしい。
そこで現地の学者が大豆を分析したところ
タンパク質と脂肪の含有量の高さから
「畑の肉」のことばができたと聞きましたが。
そんな大変な植物なのに
日本が手をこまねいているうちに
それに目をつけたアメリカが一大産地になり
今じゃ!大量にアメリカから輸入するはめに。
もっとも輸入は今に始まったことじゃない?!
満州鉄道(南満州鉄道 1906? ~ 1945?)が開通して
満州国と日本本土が簡単につながったあたりから
満州大豆が大量に輸入されたようですが。
大豆油!きなこ!味噌!醤油!納豆!
豆腐とその関連製品(豆乳とかゆばとか高野豆腐とか)
日本食に欠かせない食材ですが
大豆の加工品ばかり。
でも!記紀の時代にはどんな調理。
そんな加工品があったとは思いにくいのですが。
各地に今もある
小魚と煮た食べものくらい?!
作つけ面積世界一のアメリカでは
どのように消費しているのでしょうか。
単純に!大豆油しか思いつきません。
アメリカ人は大豆の粒食に
あまり関心がないのかも。
輸出戦略品か家畜のえさとしか思っていない!?
原産国かも知れない中国でも
豆腐なんかの原料でしょうか。
あんまり
豆の姿のままの料理はないのでしょうか。
ん!?
清朝の宮廷料理のレシピ集
愛新覚羅浩著/食在宮廷/に
「緑豆粥」がありました。
たぶん!ただひとつの粒食。
青い大豆と米を別々に煮てからいっしょにし
さらにとろ火で 20 分煮るとか。
味つけは書いてありません。
「緑豆粥」の前にあるレシピ「紅豆粥」
これは小豆の粥でしょうけど
これには砂糖や漬けものをのせて食べるとあります。
「緑豆粥」の次のレシピの
「荷葉(蓮の葉)粥」にも
砂糖をかけるとありますから
「緑豆粥」にも砂糖で調味していたのかも。
緑豆がなかったので枝豆を使いましょう。
砂糖でいいのかも知れません。
ぼたもちだって砂糖の入ったあんでくるむごはんもの。
粥におまじない程度の塩をふりましたが
なかなかの味ですよ。
白粥に乾燥納豆をトッピングして
醤油をたらしてもいいかもね。
乾燥納豆は
奈良の「ぜいたく豆本舗」で買った
糸引き納豆を乾燥させたもの。
生の納豆より
さらさらと食感がいいかも。
(敬称略)
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