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多田銀山 さまよう霊魂のゆらぎ [いわなが姫の丑の刻参り]

兵庫県の猪名川町。
「悠久広場」に着きました。
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「レンガ式遺構の復元展示」だそうです。
明治時代の堀家精練所跡。

ここは豊臣秀吉ゆかりの多田銀銅山。

歴史は古い!
平安時代の銅の採掘から始まったそうな。

堀家が採掘しているときには多田堀鉱山。
それから久原鉱業(後の日本鉱業)へ
採掘権が移り
多田鉱山と呼ばれていたのですが
昭和 48 年(1973)に閉山したそうです。



悠久広場の下に
「多田銀銅山 悠久の館」があります。

鉱山道具や鉱石の展示がありました。

悠久の館の裏の川の向こうが銀山代官所跡。
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最盛期には 1 万人の人口だったそうですから
代官所も忙しかったことでしょう。

その代官所の門が
近くの民家に移築されていました。
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柱を切って
低くして建て直しているそうです。



さらに歩いて行けば
川の向こうに古い石垣の一部が残存しています。
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平炉(ひらろ)跡。
どんな炉かも想像だにできませんが。

ぽつんと林の中に神社があります。
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鉱山の神・金山彦神社。

とても古い神社らしい。
創建は銅の採掘が始まった 807 年。
やがて鉱山の町もさびれていき
この鉱山にあった他の 2 社の神社も
ここに合祀(ごうし)されるようになったとか。



そんな長い間には間歩が無数にあったようです。

「間歩」は「まぶ」と読みます。

古今亭志ん生が
「あぶみてぇなつらをしやがって」
といっていたのは
「間夫(まぶ)」ですがね。

その間夫は「愛人」か
「色男」を指すのでしょうけど
「間歩」は坑道でしょうね。
勘違いしてはなりません。
ま!勘違いするのは私くらいでしょうけど。



青木間歩には入れます。
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削岩機で掘った坑道らしい。
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ぎょっ!
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画像に紗(しゃ)がかかります。

よくある鍾乳洞の中とは違い坑道は
湿度 100%と思えるほど蒸し暑いのですが
このときのレンズはくもっていません。
なん度試してもおんなじです。

これは!?
もがき苦しんでいる霊魂からのメッセージ?!

青木間歩には手掘りの跡も残っています。
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江戸時代のものらしい。



霊にとりつかれても構わず先に進みます。
ん?!
川向うから凝視されているような。
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穴!?
水抜き通風穴跡。

山肌が露出しています。
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多田銀銅山大露頭だそうです。

その近くにあるのが台所間歩。

秀吉の時代には産出量が多くて
大坂城の台所
すなわち豊臣家の経済を支えた坑道ですか。

なんですか!
追っても!払っても!小虫が襲ってきます。
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レンズにまとわりついて撮影のじゃまをします。
後で引き返して撮影しますか。



その先の瓢箪(ひょうたん)間歩に行きます。

足利時代からあった間歩。
秀吉の時代に大産出があったので
秀吉が自分の馬印の千成瓢箪をかかげたとか。

坑道の前に立ち入り禁止の鳥居があります。

この鳥居と坑道の間がかすんでいます。
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私の目がかすんでいる訳じゃありません。

画像に撮ってもやっぱり
その空間だけガスのようなものでぼやけます。

これまた!さまよえる霊魂のしわざかな。



台所間歩にもどります。
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やっぱり!虫に囲まれ
レンズを押さえられます。

これもなにかの化身。

カネにまつわることには
迷っているものが多いのかも。

それで気がすむのなら
大いに迷って出てきなさい。



今!灰色の脳細胞でつらつら考えます。

青木間歩内で紗が入ったのは
フラッシュを使ったときだけです。
光が乱反射!?
黄泉の国からのメッセージではないような。

台所間歩の昆虫は
カメラのレンズのミラーに反応?!

最近!著作権問題で話題になった
クロザルの自分撮りに似ているのかも。
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瓢箪間歩の空間のゆらぎは分かりません。

これは!やっぱり!
霊魂のもだえに違いありません。



(敬称略)
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