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大岩山 伏見桃山城 ほろびのうた [いわなが姫の丑の刻参り]

大岩山に展望所ができていました。
京都市伏見区が一望できます。
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背後は山科区ですから
街並みの中に
小島のように浮かんでいる山でしょうか。

この下の町の深草に住んでいた
深草少将(ふかくさのしょうしょう)と
山科の小野小町(おののこまち)を隔てていた山です。
小町に会いに九十九夜通った少将は
百夜目にこのあたりで果てたのやら。

もっともそれは
世阿弥(1363 ~ 1443)の描いた恋の世界かも。

偶然かも知れませんが
世阿弥は著書「風姿花伝」に
小野小町の歌を引用していますね。
小町の歌とは断らずに。

  色見えで 移ろふものは 世の中の
  人の心の 花にぞありける

「花なくてはしおれどころ無益(むやく)なり」
だそうですよ。

つぼみのまま腐っても無意味なんですなぁ。
重いことば!私には。



大岩山山頂は「伏見桃山ゴルフコース場」の中かな。
あ?!
立ち入り禁止!
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ゴルフ場は倒産(?)していました。
こんな街の中のアクセスがいいところなのに。

京都の町が今日はかすんでいますが
その向こうに天王山があります。

山崎の合戦で敗れた明智光秀が
自分の城にもどる途中
人目を避けてこの山を越えたという説もあるそうな。

大岩神社。
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心や労咳(ろうがい)を病んだ人が
すがった神社だそうです。
大勢の人の苦しみがうずまいています。

光秀が果てたところかも。
この山は滅びの山。

その光秀に勝った主の建てた
伏見桃山城もかすんでいます。
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行きましょう!さらに夢の跡に。



山を下って行けば
古御香宮(ふるごこうのみや)がありました。

山の下!今の街の中に
御香宮(ごこうのみや)神社がありますが
ここがその元の神社!?
それはそうですが!ちょっと複雑らしい。

豊臣秀吉が
現在の場所にあった神社をここに移したそうな。

江戸幕府が元にもどしたそうな。

そんなに大きくない社のすきまからのぞくと!
ぎゃ!
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怖い顔がにらんでいます。
泣き顔にも見えますが。



伏見桃山城。
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豊臣秀吉(1537 ~ 1598)が建てた城ではありません。
たぶん!近鉄が半世紀前に建てた鉄筋コンクリート造り。

ここは遊園地だったのですね。
色気づいていたころ!きたことがあるような。

そのとき!若いファミリーがいました。

「たいかくうどん」を食べようといっていました。

初めはジョークかと思いましたが
若いパパもママも幼稚園くらいのこどもたちも
そういっていましたね。

名物「太閤うどん」と書いてありました。
「たいかくうどん」と読むのかも知れません。

そのときの恋はまったく記憶から消えたのに
そんなどうでもいいこと!
どうして思い出すんでしょう。

ホンモノの伏見桃山城は落ちて
昭和の伏見桃山城も遊園地がなくなり立ち入り禁止。
みんな秋風の中。
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