大阪城にて鷹狩をしのぶ [手のひらを太陽に]
大阪城の西の丸庭園。
東の高台に天守閣が見えます。
300m くらいは優に離れているようですが。
あの最上階の展望台から鷹(たか)が放たれました。
たちまち!ならずものたち(!)に取り囲まれます。
が!
無事に鷹匠(たかじょう)の待つ庭園まで
降りてきました。
信州諏訪大社の神事の流れをくむ
「諏訪放鷹術」が公開(2014/11/02)されていました。
「放鷹」は「ほうよう」!「ほうおう」?!
どう読むのか聞きもらしましたが。
ニッポン語!ムズカシイ!
それにしてもならずもののカラス(烏)が
どんどん集まってきますね。
縄張りを守るつもりなんでしょうか。
うっとうしいですね。
広場の真上のあの高いポール上にも!
斥候(せっこう)の「ちんぴら」を配置しています。
放鷹の鷹にはいろんな種類があるのですね。
ノスリ!オオタカ!ハヤブサ!とかコールされていますが
ハリスホークというのが多いのでしょうか。
外国からきた鷹ばかりのような。
「お願いします」といったら
日本語が通じたのか
ちゃんとポーズをとってくれた鷹もいます。
みんなで楽しそう!
複数!いっしょに訓練できる種類もいるのですね。
久しぶりに西の丸庭園にきたので
ぐるりと回ってみます。
乾櫓(いぬいやぐら)は
徳川幕府の大坂城の最古の建てもののひとつかな。
「いぬい」つまり北西の櫓なんですね。
北東には門がありました。
ああ!これは
京橋口から入場すればいつも気になっている
「開かずの門」の内側でしょうか。
その門の石垣は!?
この黒ずみはなんですか。
風化ですか。
火事の跡ですか。
空襲を受けた跡ですか。
大阪城(大坂城)の石垣は
ほぼ花崗岩だけで築かれているらしい。
石組みはいろいろあっても
石の種類は日本でもまれな花崗岩だけとか。
花崗岩は火事とか爆撃とかの
熱に弱いともいいますが。
爆撃といえば
大阪城の地は軍事施設だったので
先の大戦のとき
アメリカ軍の空襲にさらされたのですね。
天守閣の南側!すなわち正面側には
観光客が佃煮にするほどいますが
人影のない北側に回ると!
天守閣の石垣がずれています。
アメリカ軍の度重なる爆撃で大地が揺れた跡。
そのまま北の極楽橋の方に下れば
観光客が足をとめる刻印石広場から
少し離れた静かなところに痛ましい傷跡が!
アメリカ軍の機銃掃射跡。
実際たくさんの石垣が吹っ飛ばされたそうですが
それらは修復されて今ではどこか分かりません。
これらは数少ない戦争の遺産かな。
豊臣!徳川!
日本!アメリカ!
どちらがならずものか私には分かりませんが
裏側を見ると疲れますね。
東の高台に天守閣が見えます。
300m くらいは優に離れているようですが。
あの最上階の展望台から鷹(たか)が放たれました。
たちまち!ならずものたち(!)に取り囲まれます。
が!
無事に鷹匠(たかじょう)の待つ庭園まで
降りてきました。
信州諏訪大社の神事の流れをくむ
「諏訪放鷹術」が公開(2014/11/02)されていました。
「放鷹」は「ほうよう」!「ほうおう」?!
どう読むのか聞きもらしましたが。
ニッポン語!ムズカシイ!
それにしてもならずもののカラス(烏)が
どんどん集まってきますね。
縄張りを守るつもりなんでしょうか。
うっとうしいですね。
広場の真上のあの高いポール上にも!
斥候(せっこう)の「ちんぴら」を配置しています。
放鷹の鷹にはいろんな種類があるのですね。
ノスリ!オオタカ!ハヤブサ!とかコールされていますが
ハリスホークというのが多いのでしょうか。
外国からきた鷹ばかりのような。
「お願いします」といったら
日本語が通じたのか
ちゃんとポーズをとってくれた鷹もいます。
みんなで楽しそう!
複数!いっしょに訓練できる種類もいるのですね。
久しぶりに西の丸庭園にきたので
ぐるりと回ってみます。
乾櫓(いぬいやぐら)は
徳川幕府の大坂城の最古の建てもののひとつかな。
「いぬい」つまり北西の櫓なんですね。
北東には門がありました。
ああ!これは
京橋口から入場すればいつも気になっている
「開かずの門」の内側でしょうか。
その門の石垣は!?
この黒ずみはなんですか。
風化ですか。
火事の跡ですか。
空襲を受けた跡ですか。
大阪城(大坂城)の石垣は
ほぼ花崗岩だけで築かれているらしい。
石組みはいろいろあっても
石の種類は日本でもまれな花崗岩だけとか。
花崗岩は火事とか爆撃とかの
熱に弱いともいいますが。
爆撃といえば
大阪城の地は軍事施設だったので
先の大戦のとき
アメリカ軍の空襲にさらされたのですね。
天守閣の南側!すなわち正面側には
観光客が佃煮にするほどいますが
人影のない北側に回ると!
天守閣の石垣がずれています。
アメリカ軍の度重なる爆撃で大地が揺れた跡。
そのまま北の極楽橋の方に下れば
観光客が足をとめる刻印石広場から
少し離れた静かなところに痛ましい傷跡が!
アメリカ軍の機銃掃射跡。
実際たくさんの石垣が吹っ飛ばされたそうですが
それらは修復されて今ではどこか分かりません。
これらは数少ない戦争の遺産かな。
豊臣!徳川!
日本!アメリカ!
どちらがならずものか私には分かりませんが
裏側を見ると疲れますね。