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哲学の道の紅葉 2014 [平安京有情]

今出川通りを東に
京都大学!さらに吉田山を越えて進むと
五山の送り火の大文字の火床が
どんどん近づいてきます。
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通りの北側に琵琶湖疏水が流れるようになります。
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疏水をさかのぼって行くと
疏水が東西から南北にカーブしています。
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このまま左の道をまっすぐ進めば銀閣寺。
土産物店等の観光客相手の店が
ますますひしめき合っている道です。

このあたりは
浄土寺村と呼ばれた片田舎だったそうな。

観光客が急増したので
門前のしもたやのものたちが
商魂たくましくなったと
水上勉は「銀の庭」(だったと思います)に
揶揄(やゆ)したような文章を
書いていなかったですか。

西の金閣寺が焼けた後
代わりにこちらにくる観光客が
増えたという人もいます。

ま!どちらにしてもその時代!
先の大戦後のことでしょう。



もうすぐ陽が落ちますよ。
つるべ落としの京都盆地の晩秋の太陽が。

しかし!こんな時間になんという数の観光客。
おこもさん(もの乞い)になって座っていて
ひとり 10 円もらっても家が建ちそう。

ここから疏水沿いを
「哲学の道」と命名されています。

哲学者(西田幾多郎だったと思います)が
なにかを考えながら散歩していた道だそうです。
それで!昔!「哲学者の小径」と聞いたような。
違いましたかな。
ま!私の記憶回路は初めから
子猫に預けた毛糸玉のようになっていますからね。

銀閣寺の方には行かず「哲学の道」に曲がります。
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人は一向に減りません。



法然院に寄ります。
山門のところで!もう渋滞しています。

山門を入ったところにある
盛り砂だけ見て帰りましょう。
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白砂壇(びゃくさだん)と呼ばれて
2 壇あります。
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カメラを構えても!次々人がかぶさってくるので
長時間!人が途切れるのを待ったのですが
待ちくたびれました。

水面のような模様ですね。



しばらく疏水沿いに帰らず
疏水の東側の高台の道を南下します。

安楽寺は燃えています。
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霊鑑寺(れいかんじ)は普段は非公開なのに
この大勢の観光客を
見たからという訳でもないでしょうが
拝観受付ができていました。
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右の道は俊寛の山荘跡につづく道。

このラインには
貴族たちの別荘!山荘が並んでいたのでしょう。
その別荘が
寺院になったものも多いのじゃないでしょうか。



再び「哲学の道」にもどり!南に進みます。
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大豊(おおとよ)神社に寄れば
狛(こま)ねずみがいました。
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だれかがサザンカの花を頭に飾っています。

「哲学の道」は 2km ばかりあります。
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銀閣寺にきた観光客は
すぐ引き返すのじゃないかと思っていたのですが
なかなか!
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ちっとも減りませんでした。



「哲学の道」を終えてなおも南に進めば
なんですか?!
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過激なデモ隊と
タカ派の内閣の軍隊が激突したかのような混乱。

紅葉の名所中の名所・永観堂の門前。

永観堂に入る人!出る人!
前の道を通過する人!自転車!タクシー!人力車!
なかなか血を見ないものですね。

南禅寺。
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ああ!後ろで陽が落ちて行きました。
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陽が落ちたからって!それがどうした!
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南禅寺の水路閣の下には
後から後から人が湧いてきます。



人ごみを避けて水路閣に上がり
疏水をさらにさかのぼります。

ここは私の秘密の散歩道。
秘密でもなんでもなくなっています。
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大勢の人が通っています。
ツアーの団体も通っていたのに驚かされました。

インクラインの上に出ました。
ここで分水された水は発電所めがけて落ちて行きます。
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水はいいのですが!この高低差!
疏水を行き交った船は横のインクラインを
貨車に乗せられて上下したのですね。
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ホントにもう暗くなりますよ。
心配してあげているに
村祭りの晩のように人はまだ湧いています。

思えば
こんな季節には歩いたことがなかったような。
炎天下とか!積雪のあるときとか。
人なんかいませんでしたが。
私にはその方が性に合うのかも。



(敬称略)
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