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能の里 ネギの里 西瓜の里  [町道!街道!眠り未だ足らず]

川西と聞けば
兵庫県の川西市しか思い浮かべない
地学にも地図学にも地理学にも無知の阿呆ですが
奈良県にもあるのですね。

ここは市ではなく町!
川西町だそうですが。
奈良県磯城郡だそうですよ。



近鉄・結崎駅からとぼとぼ歩けば
役場の近くに糸井神社がありました。
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私のような異教徒(?)のバチあたりは
いつものように神さまになんの挨拶もしないで
賽銭箱の横から頭を突っ込んで
拝殿内をのぞこうとしました。

「どうぞ!どうぞ!」

わ!?
中におふたりの
宮司さん(たぶん!)がいたのですね。

後ずさりするのは
賽銭泥棒と間違えられそうな雰囲気ですから
あわてて 100 円玉を投げ込んでから
拝礼した格好をしてから上げてもらいます。



たくさんの絵馬が飾られていましたが。

雨乞いがよく行われていた神社のようで
なもで(願望という意味か?)踊りの絵馬。
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天保 13 年(1842)のものらしい。
この踊りは太鼓踊りだそうです。
雨が降った後のお礼の踊りのようにも見えますが。

右下に西瓜(すいか)の切り売り。
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ここ大和平野ではすでに西瓜の産地だったとか。

伊勢神宮に向かう「おかげ参り」絵馬も。
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慶応 4 年(1868)のサインがあるそうな。
やっぱり踊っていますね。



寺川を渡ったところに面塚。
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遠い!遠い日!室町時代ともいわれていますが
突然!空から大きな怪しい音がして
落下物があったそうな。

超音速の衝撃波があったのでしょうか。

翁(おうな)の能面ひとつと
ネギ(葱)の種子が降ってきたそうな。

前言を取り消します。
とても衝撃波を発生させて落ちる
ブツじゃないですね。

ここは観阿弥(1333 ~ 1384)と
世阿弥(1363 ~ 1443)親子が
能楽観世流を完成させた地なんですね。

左が落ちてきた能面を埋めた「面塚」
真ん中の碑は「観世発祥之地」
右の碑は、、、?
あ!現地ではなるほどと読んだのですが
なんでしたやら。
下の字が分かりません。

今!つけ焼き刃に
世阿弥著/風姿花伝/を出してみると
「かつは天下安全のため」
「かつは諸人快楽(しょにんけらく)のため」の
文章がありますね。

たぶん!右の碑は「諸人快楽」でしょう。

ちなみに降ってきたネギはこの地に定着して
「結崎ねぶか」という品種になっているそうです。



堀のある大きな古墳が残っています。
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島の山古墳!
島根山古墳ともいわれたらしい。
前方後円墳だとか。

全長 200m 周濠の長い方が 265m 。
案内板によっては多少数字が違うようですが
大きいことは大きい。

古墳の横にこぢんまりしていますが様子のいい神社。
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比売久波(ひめくわ)神社。
久波御魂神(クバミタマ)と
天八千々姫(アマハチチヒメ)を
祀(まつ)っているとか。
地元では「桑」の神さまといわれていました。



西瓜!ネギ!桑!
大河が集中している豊饒の地だったのですね。

広大な水田があります。
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裏作がないから寒々としています。
この日はみぞれの後だったので
水田に水があったのですが
裏作をしないのなら水を張っておいてほしいもの。
水生昆虫が棲めるでしょ。

田んぼの中に大きな屋根を持つお地蔵さま。
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食用油がたくさん置いてあります。
油掛(あぶらかけ)地蔵ですか。
もちろん!人間のお願いことをするのでしょうけど
流れた油が水田の害虫退治に
ひと役買っていたのかも知れません。
私のいい加減な推察ですけど。

土手に上がると
初瀬川が大和川に変わる場所でした。
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大変ですね!
人の世の縄張りは。
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