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西長堀川跡 三菱発祥の地 [わが街・大阪ブギウギ]

「西大橋をご存じ?!」

大阪の土着の刀自(とじ)に聞かれましたが。
大阪の人が流れものの私に尋ねてどうします!

「あなたはよく地下鉄を利用しているから」

あ!地下鉄の駅なんですか!?

なるほど!
大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線の駅でしたか。
心斎橋駅の次は西長堀駅だと
なんとなく思っていましたが
中間に駅があったのですね。

西大橋駅から地上に出てみます。
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長堀川です。
いや!長堀川を埋め立てた緑地帯です。
昔!ここに橋があったのでしょう。
それが西大橋?!

あ!?
この元長堀川を横切っている道は
「なにわ筋」ですね。
大阪に流れ着いたときの最初の職場から
あまり離れていないような。

なにわ筋を少し北上すれば
「砂場」の発祥の地がありましたよ。
ね!
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日本のそば店はここから。
400 年以上の歴史があるようです。



長堀川跡にもどって西に歩きます。

富田屋(とんだや)橋の親柱みたいなものと
間長涯(はざまちょうがい 1756 ~ 1816)の
「天文観測の地」の碑。
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橋のたもとの質屋の息子が天文学者になったのですね。

問屋(といや)橋の親柱かな。
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木材の問屋たちが架けていたそうな。

次は白髪(しらが)橋の交差点。
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新羅(しらぎ)の船の停泊場所だったといいます。
しらぎ → しらが と変じたらしい。

手前は「大阪木材市売市場発祥の地」の碑。
長堀川には木材も集結していたのですね。

先ほどの西大橋からずっと
ハラが立っているのですが
橋から橋!今は交差点から交差点まで
この川の跡の緑地帯は島になっているのです。

島から島へ直接渡って歩けないのです。

左右どちらかの車道を渡ってから元・橋の筋を渡り
次の島へとまた信号を待つ
コ型に歩く仕組み。
島から島へ横断歩道がありません。
散策はさせない設計かな。

なんですか?!
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西長堀駅まできました。
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鰹座(かつおざ)橋交差点です。

鰹節の問屋街
鰹座があったところ。
また土佐殿橋とも呼ばれていたらしい。



長堀川跡のひとつ南に並行している道に
大きな神社がありました。
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表にまわれば江戸時代からの桜の名所。
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土佐稲荷神社です。
かつての土佐藩の蔵屋敷があったところかな。

あれ!
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これはスリーダイヤ!?
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神社に「三菱」がいっぱい。
岩崎彌太郎が貿易・海運業を始めた地。
「三菱」発祥の地ですか。

岩崎彌太郎!後藤象二郎!板垣退助!坂本龍馬ら
土佐のおかねにさとい人たちが
このあたりで暗躍していたのでしょうか。



再度!長堀川跡にもどると
玉造(たまつくり)橋交差点。
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もう!緑地もなく!情緒もなにもないですね。

かつて大坂城の南に玉造口があり
今でも玉造の地名が残っていますが
そこに住んでいた与力・同心が増えて手ぜまになって
こちらに町の一部を移したらしい。

木津川にぶつかりました。
長堀川の終点でしょうか。

伯楽橋が架かっています。
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荷馬車が集まっていたところでしょう。
伯楽は日本語になまれば
「博労(ばくろう)」とか「馬喰」とかですもの。

この橋の嚆矢(こうし)は比較的新しい。

明治 41 年(1908)
市電を通すために架橋されたようです。
たぶん!松島遊廓に行くための電車。



なんだか心が疲れて!帰ります。

長堀川は大阪の真ん中あたり
中央区と西区を東西に流れていた川ですが
四ツ橋から東を東長堀川
西を西長堀川と呼んでいたようです。

今日は西長堀川を歩いただけです。
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