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立川文庫 きつね小路 うなぎ小路 [わが街・大阪ブギウギ]

あまりいい思い出もないのですが
大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社。
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大阪に流れ着いたときの最初の場所かな。
サボタージュのね!あは。
それから今までずっと
サボタージュが本職(?)みたいなものですがね。

最近!このあたりで休憩するときには
無意識にここにくることが多いような。
もう知り合いもいないでしょうから。

「坐摩(ざま)の前の古手屋」といって
有名だった時代もあったそうです。

「古手」とは「中古品」や「古着」のことかな。
大昔!門前は商いをする人でにぎわったのですね。
その中でも「古着」を扱う人が多かったとか。

このあたり船場は「繊維」の町。
この神社の門前の物売りが嚆矢(こうし)でしょうか。



北へ中央大通りを渡れば
「きつね(狐)小路」があると聞きました。

御堂筋の西に並行して走る南北の道。
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たぶん!ここでしょう。
なんの変哲もない!
どうして「きつね」だか分かりません。
昔はもっと貧弱な!化かされるような道だったのかも。



御堂筋を渡り
中央大通りの北に並行して走る東西の道が
通称・唐物(からもの)通りでしょうか。

南北につづく心斎橋通りとの交差するあたりに
立川文明堂があったそうな。
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立川文明堂は明治 44 年(1911)から
大正 12 年(1923)ごろにかけて
売れに売れた立川文庫の発行元。

  紙質のひどく悪い本だが
  表紙は人目をひく鮮やかな色刷り。
 「真田十勇士」とか
 「猿飛佐助」とかいう本が何十種類も。

と!
日本人で初めてノーベル賞を受賞した
湯川秀樹(1907 ~ 1981)が
述懐しています。(湯川秀樹著/旅人)

少年時代に京都で立川文庫を読んでいたのですね。



立川文庫はみんな
「玉田玉秀斎口演 山田酔神速記」とあるそうな。

玉田玉秀斎は講釈師。
山田酔神は山田敬の長男の阿鉄(おてつ)の筆名。
山田敬は四国の今治の廻船問屋の家つき娘。

その大店(おおだな)の
裕福な家のなに不自由のない奥さまで
5 人もこどもがいた 43 歳の敬が
妻子に死に別れ
ヤケをおこして身を持ち崩したドサ回りの
41 歳の講釈師・玉秀斎(当時は玉鱗)と
なにをどうしたのか!大阪へかけ落ちしたのですね。

困ったもんです。

それから 10 年くらいして
玉秀斎の講釈を
阿鉄とその仲間の文士たちで
換骨奪胎して物語を創作したそうな。
講釈師の「見てきたようなウソ」を
さらになん十倍ものウソで糊塗した物語。

それが立川文庫になると
「玉田玉秀斎口演 山田酔神速記」なんですね。

このあたりのいきさつが面白いと思うのですが
どこに書いてあったのか失念してしまいましたので
ここに詳細を書き写せませんが。

アラフォー(around 40)のおね~さんたち!

頑張れ~!

43 歳の山田敬は不倫!かけ落ちで
結果!大衆を喜ばせて!名を残しましたぞ。
「トシ!」だなんていってあきらめずに
恋をしてくださいね。

また!少年少女たちよ!
奇想天外な無茶苦茶なストーリィの
立川文庫を読みたまえ。
ノーベル賞をもらえるエラい学者になれるかも。



たぶん「唐物町」を東に歩いているのでしょうけど
「からもの」のかけらもないですね。
いつのころのはなしでしょうか。
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東警察署の南側の道が
うなぎ(鰻)小路です。
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どういういわれがあるのか分かりません。
今はだれも気にしない
やっぱりなんの変哲もないやや幅員のない道です。



(敬称略)
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