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源ケ橋のニューヨーク [わが街・大阪ブギウギ]

猫間川(ねこまがわ)筋という
呼び名はあるのですが
川の面影なんかどこにもありません。
埋め立てられ!
暗渠(あんきょ)に
なっているという人もいますが
果たして、、、。

たしかに川筋のようにくねくねした道を
阿倍野区から北へ進み
生野区に入るあたりに
源ケ橋の交差点があります。
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橋があったのですね。

最後の橋は木造だったそうですが
橋の嚆矢(こうし)は
僧・有源が架けた
伽羅(きゃら)香木造りだったとか。

ウソでしょう。

有源の俗名は源兵衛といい
渡し船で生計を立てていたとか。

ところが大変な悪党で
乗船客を殺して水に投げ込み
金銭を奪っていたそうな。

あるとき!
いつものように殺(あや)めた青年は
昔別れた実の息子だったのです。

それで悔いて僧になり
今まで集めていた莫大なゼニで
伽羅の橋を架けたとか。

源兵衛が架けたから源ケ橋。

めでたし!めでたし!と
単純に喜べない根性が曲がっている私。
私と渡しをかけたりして!
つまらんですな。



この川!
渡し船が必要なほどの大川だったと
とても思えないのですが。
しかしまぁ!
船便の運送業だといえばいえるのかも。

大金を貯め込むほど
殺人や追いはぎをしていたのなら
そのうち逮捕されているでしょう。
僧になったからって
許されるものでもないでしょう。

伽羅でできた橋が
はたして強度があるものかどうか。

僧・有源が架けたのなら
有ケ橋という方がいいのでは。

なんて!
ムキになって考えることもないですか。



源ケ橋の交差点から始まっている
生野本通商店街を入って(たぶん)東に進み
すぐの路地を左に曲がれば
建て込んだ民家の中にひっそり
沖見地蔵尊がありました。
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やっぱり広大な沼地があったのでしょうか。
沖を見るほどの。

今はない河内湖に連なるほどの
水面があったのかも。



さらにアーケードを歩き
今度は右に曲がったら!
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橋の親柱でしょうか。
銭湯の入り口にふたつ並んでいます。
blog4.jpg

源ケ橋ですね!たしかに。
でも!石なんですが。
伽羅じゃないんですが。
伽羅はともかく
木造の橋のはずだったと聞いたのですが。

それに!どうしてここに?!

ん!?
視線を感じて見上げれば
立派な「しゃちほこ」が 2 体!
それに妙齢(?)の女性がふたり。
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自由の女神なんでしょうか。

ああ!自由の女神像といえばニューヨーク!
ニューヨークは入浴。
大阪人のべたべたのしゃれかも。
ここはお風呂屋さんですから。
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