へぐり時代祭りの長屋王 [いわなが姫の丑の刻参り]
長屋王(ながやのおおきみ 684 ~ 729)と
その正妻の
吉備内親王(きびないしんのう 686? ~ 729)ですか。
もう!ちょっと若い人じゃないのといえば
叱られますか。あは。
この地・平群町では英雄なんでしょうね。
「平群町」は
「へぐりちょう」と読まねばなりません。
奈良県の生駒山地と矢田丘陵にはさまれた盆地。
竜田川が真ん中に流れています。
記紀に深く登場する由緒あるところです。
長屋王と吉備内親王は同じ日に亡くなっています。
殺されたのです。
藤原不比等亡き後
不比等(ふひと)の 4 人の子の陰謀でしょうね。
長屋王の墓が平群町にあります。
左大臣の皇族としては
案外!こじんまりとしています。
削られて小さくなったのか
比定が間違っているのか。
並んで吉備内親王の墓があります。
もう!庶民の住宅の中に埋没しています。
この時代には
不思議な「たたり」が次々起こっていたようです。
余談ですが
この周辺には「高市某」という
1 度拝見したら頭に刷り込まれてしまうと
相棒のアラフォー(around 40)女史がいっていた
「べっぴん」の女性代議士のポスターだらけ。
ポスターにくらくら酔いますぞ。
酔って!ふと!
高市皇子(たけちのみこ)を思い出します。
長屋王は高市皇子のこどもですね。
その高市皇子の異母兄弟の
天武天皇のこどもの
草壁皇子(くさかべのみこ)と
大津皇子(おおつのみこ)が
皇位を争って
殺されたり!
たたり(?)で死んだりしたのですね。
長屋王を殺した藤原 4 兄弟も
次々にたたり(?)で死んだようです。
新しい平成のたたりが起きなければいいのですが。
今日(2015/04/29)は
「へぐり時代祭り」だそうです。
今にも泣きそうな空の下
時代行列も行っていました。
「ゆるきゃら」は
「長屋くん」と「左近くん」?!
「長屋王」と「嶋左近」が
この町筆頭の英雄でしょうか。
最初は倭建命(やまとたけるのみこと)!
ゆかりは大変古く
古事記に登場します。(拙ブログ 2011/03/07)
古墳時代の平群木菟(へぐりのずく)!
飛鳥時代の役行者(えんのぎょうじゃ)!
奈良時代の平群廣足(へぐりのひろたり)!
奈良時代の「行基」!
私には戦国時代の
悪党のイメージしかないのですが(すみません)
この町では英雄の「松永弾正」!
やはり戦国武将の「嶋左近」!
ほとんど知らない人ばかりでしたが。
今!なに気なく
佐佐木信綱編/新訓万葉集/を広げたところに
長屋王の歌がありました。
佐保過ぎて
寧楽(なら)のたむけに置く幣(ぬさ)は
妹(いも)を目(め)離(か)れず相見しめとぞ
どういう意味なんでしょう。
佐保を過ぎたら
手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)があります。
そこへ幣(絹の花びら?)をはらはらとお供えして
愛しいかの女に会わせてと祈ったのでしょうか。
ああ!恋はいつの世もいいですねぇ。
でも!ちょっと違いますよね。
手向山八幡宮は東大寺の建立時に
宇佐八幡宮から勧請したはずですから
時代が合わないですか。
原文をじっと見る!はは。
佐保過而
寧楽乃手祭爾 置幣者
妹乎目不離 相見染跡衣
寧楽は山のこと。
手祭も山。同じ山。または山の祭祀場でしょうね。
歌は蛇足でした。
(敬称略)
その正妻の
吉備内親王(きびないしんのう 686? ~ 729)ですか。
もう!ちょっと若い人じゃないのといえば
叱られますか。あは。
この地・平群町では英雄なんでしょうね。
「平群町」は
「へぐりちょう」と読まねばなりません。
奈良県の生駒山地と矢田丘陵にはさまれた盆地。
竜田川が真ん中に流れています。
記紀に深く登場する由緒あるところです。
長屋王と吉備内親王は同じ日に亡くなっています。
殺されたのです。
藤原不比等亡き後
不比等(ふひと)の 4 人の子の陰謀でしょうね。
長屋王の墓が平群町にあります。
左大臣の皇族としては
案外!こじんまりとしています。
削られて小さくなったのか
比定が間違っているのか。
並んで吉備内親王の墓があります。
もう!庶民の住宅の中に埋没しています。
この時代には
不思議な「たたり」が次々起こっていたようです。
余談ですが
この周辺には「高市某」という
1 度拝見したら頭に刷り込まれてしまうと
相棒のアラフォー(around 40)女史がいっていた
「べっぴん」の女性代議士のポスターだらけ。
ポスターにくらくら酔いますぞ。
酔って!ふと!
高市皇子(たけちのみこ)を思い出します。
長屋王は高市皇子のこどもですね。
その高市皇子の異母兄弟の
天武天皇のこどもの
草壁皇子(くさかべのみこ)と
大津皇子(おおつのみこ)が
皇位を争って
殺されたり!
たたり(?)で死んだりしたのですね。
長屋王を殺した藤原 4 兄弟も
次々にたたり(?)で死んだようです。
新しい平成のたたりが起きなければいいのですが。
今日(2015/04/29)は
「へぐり時代祭り」だそうです。
今にも泣きそうな空の下
時代行列も行っていました。
「ゆるきゃら」は
「長屋くん」と「左近くん」?!
「長屋王」と「嶋左近」が
この町筆頭の英雄でしょうか。
最初は倭建命(やまとたけるのみこと)!
ゆかりは大変古く
古事記に登場します。(拙ブログ 2011/03/07)
古墳時代の平群木菟(へぐりのずく)!
飛鳥時代の役行者(えんのぎょうじゃ)!
奈良時代の平群廣足(へぐりのひろたり)!
奈良時代の「行基」!
私には戦国時代の
悪党のイメージしかないのですが(すみません)
この町では英雄の「松永弾正」!
やはり戦国武将の「嶋左近」!
ほとんど知らない人ばかりでしたが。
今!なに気なく
佐佐木信綱編/新訓万葉集/を広げたところに
長屋王の歌がありました。
佐保過ぎて
寧楽(なら)のたむけに置く幣(ぬさ)は
妹(いも)を目(め)離(か)れず相見しめとぞ
どういう意味なんでしょう。
佐保を過ぎたら
手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)があります。
そこへ幣(絹の花びら?)をはらはらとお供えして
愛しいかの女に会わせてと祈ったのでしょうか。
ああ!恋はいつの世もいいですねぇ。
でも!ちょっと違いますよね。
手向山八幡宮は東大寺の建立時に
宇佐八幡宮から勧請したはずですから
時代が合わないですか。
原文をじっと見る!はは。
佐保過而
寧楽乃手祭爾 置幣者
妹乎目不離 相見染跡衣
寧楽は山のこと。
手祭も山。同じ山。または山の祭祀場でしょうね。
歌は蛇足でした。
(敬称略)