二上山は妖気の中 [みんなで歩けばこわくない]
ワタクシ!
多くの人を傷つけて生きてきました。
この上に寝かされて
電車に轢(ひ)かれても
うらんだりいたしません。
なんて!気が弱いので
あきらめてしまいそうな線路。
近鉄・南大阪線の二上神社口駅を出たところ。
地獄の責め具(?)みたいなもの。
なんでしょうか。
地獄の鬼どもの招く手を振り切って
妖しい(?)霧雨にかすむ道を
ゆるゆると上って行きます。
ほどなく葛木二上神社。
絵馬の赤いカニ!
悪い心をきざまれながら
山径にかかります。
二上山の雄岳を目指します。
階段ばかりです。
ますます霧雨は深く不安は増します。
が!いつになく元気な
アラフォー(around 40)のおね~さんの
少女のような後ろ姿が
邪気を払う妖精のように見えて
引き返そうともいえず。
体格の小さな人は
いつまでも可愛く見えて得ですなぁ。
あ!後ろ姿がですよ。
駅から雄岳まで 2km ばかりです。
時速 60km なら 2 分です。
15km なら 8 分の辛抱です。
「どういう計算をしてるの!?」
ま!不動産の広告では
2km は(徒歩所要時間) 25 分です!
頂上近くの大津皇子(おおつのみこ)の墓。
1 時間をゆうに回っていました。はは。
大津皇子をしのんで泣いた姉の
大伯皇女(おおくのひめみこ)の涙のように
葛木坐二上神社も妖しくかすんでいます。
ここが雄岳のほぼ頂上。
標高 517m 。
駅からの標高差 400m あまり。
健脚ではないので大変でした。
二上山は名前のように
フタコブラダの背のような山ですから
もうひとつの山頂の雌岳があります。
1 度「馬の背」に降りて再び上がれば
雌岳(474m)!
近年整備されて日時計なんかが造られています。
比較的よくハイキングした山ですが。
5 年ぶりかなぁ。
変わっていませんね。
最後は
アラフォー No.2といっしょだったような。
おね~さん方に No をつけて
申し訳ありません。(拙ブログ 2013/12/31)
「記録がないよね」
ああ!そうですか。
ネタが少ないのに毎日更新しているブログですから
書いていたつもりなんですが。
5 年前の二上山は
ひとり歩きのときの記録しかなかったですか。
「なにかあったの?!」
え?!
記憶にありましぇん!ホントーに。
年年歳歳!花あい似たり
歳歳年年!人同じからず!
あのスレンダーで美人だった(!)おね~さんも
今はもうアラフォーではなくなったかも。
四捨五入したら 50 歳かも?!
ときの流れの中で無策に生きて
あのおね~さんにも迷惑ばかりかけて
先ほどの線路の
地獄の責め具をあてられても文句はいえない人生。
突然!
妖気が消えて!
陽が射してきました。
凍らせてきた缶チューハイが
やさしいフローズンになっています。
雄岳と違って雌岳は
見晴らしがいいのでここでランチにしませんか。
下ります。
昔から倒れたまま!朽ち果てていない
千年杉の下をくぐります。
(初公開!正面から見たおね~さん)
(前から見てもかわゆいでしょ)
(画像も小さい方が可愛いのです、、、?!)
岩屋です。
巨岩をくり抜いて
塔や基壇や仏画を造ったらしい。
山麓の当麻寺に伝わっている
「當麻曼荼羅(たいままんだら)」は
中将姫がここで織ったという伝説がありますが
果たして。
山をほぼ降りたところ!鳥谷口古墳。
私が先達から引き継いだ資料やマップには
まったくのっていません。
最近(1983)発見された古墳です。
これが大津皇子の墓だといわれ出しました。
あの山の上の墓はあまりにも不自然。
宮内庁の治定が間違っていると私も思いますが。
山口神社の横の大池で
けたたましい声が聞こえます。
巨大なウシガエルが
コイ(鯉)を捕まえているような。
かわず合戦のときなど
しがみつかれた魚が
絞め殺される場合があることを思い出しましたが。
あれ?!
望遠でのぞくと
特大のウシガエル同士がじゃれていました。
ほっとしたような!残念なような。
他にも大声で鳴いているものもいます。
なんという鳥なんでしょう。
5 年前にひとり歩いていたときにも
いたような。(拙ブログ 2010/03/02)
ランチの残りのバゲットを投げると
コイと奪い合って食べていましたが。
傘堂です。
古いものでしょうね。
中将姫の墓といわれている
十三重塔(鎌倉時代作)と
三重塔(平安時代作)の間から見る二上山。
朝の妖気はすっかり晴れていました。
多くの人を傷つけて生きてきました。
この上に寝かされて
電車に轢(ひ)かれても
うらんだりいたしません。
なんて!気が弱いので
あきらめてしまいそうな線路。
近鉄・南大阪線の二上神社口駅を出たところ。
地獄の責め具(?)みたいなもの。
なんでしょうか。
地獄の鬼どもの招く手を振り切って
妖しい(?)霧雨にかすむ道を
ゆるゆると上って行きます。
ほどなく葛木二上神社。
絵馬の赤いカニ!
悪い心をきざまれながら
山径にかかります。
二上山の雄岳を目指します。
階段ばかりです。
ますます霧雨は深く不安は増します。
が!いつになく元気な
アラフォー(around 40)のおね~さんの
少女のような後ろ姿が
邪気を払う妖精のように見えて
引き返そうともいえず。
体格の小さな人は
いつまでも可愛く見えて得ですなぁ。
あ!後ろ姿がですよ。
駅から雄岳まで 2km ばかりです。
時速 60km なら 2 分です。
15km なら 8 分の辛抱です。
「どういう計算をしてるの!?」
ま!不動産の広告では
2km は(徒歩所要時間) 25 分です!
頂上近くの大津皇子(おおつのみこ)の墓。
1 時間をゆうに回っていました。はは。
大津皇子をしのんで泣いた姉の
大伯皇女(おおくのひめみこ)の涙のように
葛木坐二上神社も妖しくかすんでいます。
ここが雄岳のほぼ頂上。
標高 517m 。
駅からの標高差 400m あまり。
健脚ではないので大変でした。
二上山は名前のように
フタコブラダの背のような山ですから
もうひとつの山頂の雌岳があります。
1 度「馬の背」に降りて再び上がれば
雌岳(474m)!
近年整備されて日時計なんかが造られています。
比較的よくハイキングした山ですが。
5 年ぶりかなぁ。
変わっていませんね。
最後は
アラフォー No.2といっしょだったような。
おね~さん方に No をつけて
申し訳ありません。(拙ブログ 2013/12/31)
「記録がないよね」
ああ!そうですか。
ネタが少ないのに毎日更新しているブログですから
書いていたつもりなんですが。
5 年前の二上山は
ひとり歩きのときの記録しかなかったですか。
「なにかあったの?!」
え?!
記憶にありましぇん!ホントーに。
年年歳歳!花あい似たり
歳歳年年!人同じからず!
あのスレンダーで美人だった(!)おね~さんも
今はもうアラフォーではなくなったかも。
四捨五入したら 50 歳かも?!
ときの流れの中で無策に生きて
あのおね~さんにも迷惑ばかりかけて
先ほどの線路の
地獄の責め具をあてられても文句はいえない人生。
突然!
妖気が消えて!
陽が射してきました。
凍らせてきた缶チューハイが
やさしいフローズンになっています。
雄岳と違って雌岳は
見晴らしがいいのでここでランチにしませんか。
下ります。
昔から倒れたまま!朽ち果てていない
千年杉の下をくぐります。
(初公開!正面から見たおね~さん)
(前から見てもかわゆいでしょ)
(画像も小さい方が可愛いのです、、、?!)
岩屋です。
巨岩をくり抜いて
塔や基壇や仏画を造ったらしい。
山麓の当麻寺に伝わっている
「當麻曼荼羅(たいままんだら)」は
中将姫がここで織ったという伝説がありますが
果たして。
山をほぼ降りたところ!鳥谷口古墳。
私が先達から引き継いだ資料やマップには
まったくのっていません。
最近(1983)発見された古墳です。
これが大津皇子の墓だといわれ出しました。
あの山の上の墓はあまりにも不自然。
宮内庁の治定が間違っていると私も思いますが。
山口神社の横の大池で
けたたましい声が聞こえます。
巨大なウシガエルが
コイ(鯉)を捕まえているような。
かわず合戦のときなど
しがみつかれた魚が
絞め殺される場合があることを思い出しましたが。
あれ?!
望遠でのぞくと
特大のウシガエル同士がじゃれていました。
ほっとしたような!残念なような。
他にも大声で鳴いているものもいます。
なんという鳥なんでしょう。
5 年前にひとり歩いていたときにも
いたような。(拙ブログ 2010/03/02)
ランチの残りのバゲットを投げると
コイと奪い合って食べていましたが。
傘堂です。
古いものでしょうね。
中将姫の墓といわれている
十三重塔(鎌倉時代作)と
三重塔(平安時代作)の間から見る二上山。
朝の妖気はすっかり晴れていました。