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恋の奴隷になりたい [不謹慎ですが、、、]

めったに行かない遠くの
思わぬ街角で
昔なじみの女の子にバッタリ遭遇。
女の子といっても
もう 20 代を半ば過ぎているでしょうけど。

会いたくはないのに!
向こうも会いたくもないでしょうに!
会うんですねぇ。
これが初めてではありません。
前にもとんでもない街角で会ったりしています。

「この近くの友だちの家に泊まってるの」

その不細工な容姿の女はいいます。

「男の友だちやで」

聞きもしないのに!
スーパーの袋を下げて誇らしげ。

あい変らず
男から男へ渡り歩いて暮らしているようです。

定職を持たなくても
結構リッチに楽しく暮らしていて
めでたいのやらどうなのやら。
親が見たら泣くぞ!
と思ったらおかあさんも似たような生活です。



つぎからつぎに男を引っかけて
なん度も殺害して
財産を奪う女がいく人か捕まっている昨今。
その女はどう見ても
みんな見てくれが悪い!

器量が悪くても
愛想がいいのでしょうね。
閨房(けいぼう)の技術が
長(た)けているのかも!知らんけど。

不細工は武器になるようです。

女日照りの長い男は
美人が接近してきたら緊張し
「どうしてこんなオレに!?」と
腰を引くかも知れません。

「あたし!こんなデブで恥ずかしい」
「こんな不細工!嫌いでしょうね」

「小さいときから体が弱かったから」
「学校に行けず!頭悪くてごめんね」

とかなんとかブスで阿呆がブスで阿呆といえば

女性経験のない男は

「人間!顔じゃない!」
「心がきれいなキミが好きだ」

なんていうのでしょうね。
ホントに思いこんでしまうのかも。



「不細工な女は心も汚いんや!」

いつか叱られましたね。
酒屋のパートのおばちゃんと
居酒屋のめし炊きおばちゃんがタッグを組んで
どなってきました。

「小さなころから」
「ブスだの!ブタだの!阿呆だのいわれて育てば」
「根性がひん曲がっとるわ!」
「心身のブスが大きくなってから突然!治るかぁ!」

自分たちのことをいっているようです。

彼女たちの弁によると
顏の汚い女にだまされる男は
だまされたくてだまされているということらしい。

そうかも知れません。

なぜ大勢のまじめな(?)男たちは
殺されるまでじっとしていたのでしょう。



殺(しゃー)!殺(しゃー)!殺(しゃー)!

明の終わり
反乱軍の親玉・張献忠(1606 ~ 1646)は
そう叫びつづけたようです。

逆らうものを殺します。
降伏したものを殺します。
科挙(かきょ)の受験にきたものも殺します。
合格したら殺します。
可愛いから人にとられたくないようで
愛妾や跡取り息子や仲のいい友人も殺します。
みんないっしょに滅びようと
住民のみな殺しにとりかかります。

殺(しゃー)!殺(しゃー)!殺(しゃー)!

その殺人鬼の前で
住民も部下も逃げもしないで
どうして!
簡単に殺されたのでしょう?!
どうして!?

殺人鬼の不細工な女に
殺された人にもいえるといえば不謹慎でしょうか。



魯迅(1881 ~ 1936)はいいます。

中国の歴史は

「奴隷になりたくてもなれない時代」と
「当分安全に奴隷になりおおせている時代」の

循環だと。(灯下漫筆/松枝茂夫訳)

住民は
人間として扱ってくれなくてもいいと
考えているのだそうな。

「牛馬で結構」
「草は自分で見つけて食うから」
「どこへ向かって走ればいいか決めて」ほしいのだとか。

AとBが争っていたら
どちらからも殺害され略奪されます。
AでもBでもいい!どちらかが
奴隷か牛馬として認めてくれたらいいというのです。

だから!
その征服者が殺人鬼でも逃げないのでしょうか。



現代の小市民にも

「恋の奴隷になりたくてもなれない時代」と
「当分安全に恋の奴隷になりおおせている時代」の

ふたつがあるだけかも知れません。

たまたま奴隷として認定してくれた女が

殺(しゃー)!殺(しゃー)!殺(しゃー)!でも

逃げないのかも知れません。

ともかく今日は
めし炊きおばちゃんの説に乗りますよ。

美男・美女は心が病んでいます。
醜男(ぶおとこ)・醜女(しこめ)は
根性も醜(みにく)い。

さぁ!覚悟の上で街に出て恋をしましょう。



(敬称略)
タグ:魯迅
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