SSブログ

なんきんゴーヤー [いも!たこ!なんきん!]

わが家の淡水の貝のカワニナは
飼い主に似てなんでも食べますが
カボチャを特に好むような気がします。

生のカボチャを繊に切って水槽に入れると
すぐ沈んで(拙ブログ 2015/07/23
底にひしめくカワニナの口元に届きます。

しかし!中には浮いたまま。
かたくなに潜水を拒否するものがあります。

そんなカボチャは調理してもまずい。
水ぶくれのカボチャでしょうか。

鉈(なた)や鉞(まさかり)で
割らなければならないカボチャなら
たぶん!すぐ沈むと思いますが。

鉈(なた)割りカボチャ!
どこかにありませんか。



また!またまた!
「?」が頭をもたげます。

そもそもカボチャとは?!

「唐茄子(とうなす)というもの箱根より西になし」
「西はみなかぼちゃなり」
「江戸ではかぼちゃは食べず」

なんて大昔の文献にあるそうですから
唐茄子とカボチャは違う種類かと思えば
どうやらそうでもないようです。
産地違いのお国自慢かも。

カボチャの原産地は諸説あるものの
モスカータ系はメキシコあたり
ポンキン系はチリの高原地帯あたり
ペポー系は北アメリカあたりという説を信じるのなら
大昔の日本のカボチャは
みんなモスカータ系らしいのですが。

今の品種は交雑していて
なにがなんやら分かりませんが。

そのカボチャを
関西では「なんきん」というのですが。
漢字で書けば「南瓜」かな。



落語に「唐茄子屋政談(とうなすやせいだん)」という
人情噺(ばなし)があります。
古今亭志ん朝(3 代目)の高座が印象に残っていますが。

上方落語では南京屋政談(なんきんやせんだん)ですか。
浅学にして聞いたことがありませんが
江戸の落語を移したものでしょうね。
あんまり面白くはなさそう。

というのは
上方落語には人情噺は似合わないのじゃないでしょうか。

無知をさらけますが
江戸の落語はお座敷芸のような。
ざぶとんの上にひとり座っての
素噺(すばなし)が基本じゃないですか。

上方の落語は街頭芸じゃないでしょうか。
にぎやかに演じなければ人が立ち止まってくれません。

道具立てもぎょうぎょうしいです。
ざぶとんだけではありません。
見台(けんだい)という白木の机がいります。
拍子木と演題によっては張り扇をのせます。
前にひざかくしというついたてを立てます。
冬なら鉄瓶と火鉢を横に置きます。

なにより「はめもの」という
叱られるかも知れませんが楽団(!)を従えています。

そんな中でしんみりした人情噺はねぇ、、、。



あ!上方の南京屋政談のはなしでしたね。

私は「なんきん」は
「南瓜」と書かねばならんと思っていましたが
「南京の瓜」の略だから
「南京」でいいと居酒屋の女将にさとされました。

あ!?
カボチャは南京の瓜なんですか?!

それはともかく「唐茄子屋政談」は知っているのですが
「唐茄子屋」という噺もあるようです。

もちろん上方では「なんきん屋」か
「カボチャ屋」でしょうね。

落語事典であらすじを読むと
あんまり面白い噺ではありません!私には。

これはたぶん!
安楽庵策伝(1554 ~ 1642)著/醒酔笑/にある
あきんどにその息子の年令を尋ねると
そら値(掛け値)をいったという
つまり実年令に上乗せしていったという
笑話が原話じゃないでしょうか。

あきんどは常に掛け値をいうものらしい。
それを揶揄(やゆ)しているのじゃないですか。

落語ではカボチャ屋でもミカン屋でも
あきんどの売るものはなんでもいいとか。



やめましょう。
つまらんはなしですみません。

「カボチャ」と聞けばなぜかいつも
つぎつぎに愚考が脱線して広がり!
困ったもんです。
きっと前世の私は
カボチャに花粉をもらえなかった
根性の悪いミツバチだったのかも。



水に浮くカボチャを切って
皮をまだらにむいて
蒸し器に入れてみます。

ゴーヤー(苦瓜)をスライスして
梅肉で和えておきます。

蒸しあがったカボチャを粗くつぶしながら
ゴーヤーを混ぜ合わせました。

ちょっとだけ醤油を振ります。
blogかぼちゃゴーヤー.jpg

水カボチャもおいしい。
まさかりカボチャならもっとおいしいでしょう。



(敬称略)
コメント(0)