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中之島公園 秋のバラ [わが街・大阪ブギウギ]

ライオンが並んでいます。
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口を開けたのと閉じたのと。
阿吽(あうん)の獅子です。
大正 4 年(1915)に石造りの橋になったときから
座っているらしい。

難波(なにわ)橋の北のたもとです。

「西ひがし みな見にきたれ なには橋」
「すみずみかけて 四四の十六」

かつてこの橋から 16 の橋が見えたそうな。
だから狂歌に四四(獅子)の十六。

なにわ八百八橋といわれていますが
今!手元にある天保のころ(19 世紀初頭)の
「浪華橋々繁栄見立相撲」という
ほぼ大坂(大阪)の橋を
網羅しているような番付には
205 橋しかありませんけどね。

ほとんどが私設の橋。
公儀橋(公営)はわずか 12 橋。
その数少ない公儀橋のひとつだったらしい。

南へ堂島川を渡り
つづいて土佐堀川を越えて架かっています。

この橋の歴史は
天平 17 年(745)までさかのぼれるそうですが
昔は堂島川と土佐堀川を区切る
中之島がまだ下流にあり
川は大川(旧・淀川)ひとつだったはず。



中之島へ降ります。

バラが咲いています。
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秋の花は清楚ですね。
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初夏に咲く花のような
ギラギラとした自己顕示や
ねっとりとした媚(こ)びがありません。

初夏には花泥棒がよく横行する公園ですが
こんな清々しい秋にはどうなんでしょう。

ま!挑発的な服装と
強姦事件は関連しないという
アメリカの性犯罪の研究がありましたけどね。
(レイプ<強姦>/ジーン・マックウェラー著/権寧訳)

こんな楚々としたところにも犯罪者はくるのかも。
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赤い実?!
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バラの実も観賞価値があるのでは。



難波橋の南にもライオンがいます。
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さらに南に道が延びていますが
その道が堺筋!難波橋筋ではなく堺筋です。
難波橋筋はひとつ西に並行しています。
ふしぎでしょ。

「難波橋」を考えていたら日が暮れます。
たくさんのふしぎや歴史を秘めている橋です。

お勉強は好きじゃないので
テキトーにうっちゃって堺筋を南下します。

まず!東西に走る土佐堀通りとの交差点に
「大阪俵物会所跡」の碑があります。
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これ「大坂」と表示した方がいいのでは。
それはともかく
「煎海鼠(いりなまこ)」や
「干鮑(ほしあわび)」や「鱶鰭(ふかひれ)」等を
俵物と呼んだのですね。

貿易用だったのですね。

秀吉の時代から
堺筋には貿易商が集結していたようです。
昔の通称なら唐物(からもの)問屋街ですか。

堂島といえば「米」ですが
堺筋といえば特に「砂糖」が集結していたとか。



明治時代の古い建てものがあります。
逆光ですので通り越えて振り向きます。
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薬問屋の旧小西家住宅(小西儀助商店)です。

並んで両替商兼呉服商の
「三井」(後の三越百貨店)があったそうですが。

「三越」だけではなく
「白木屋」「高島屋」「松坂屋」なんかも
堺筋にあったので
「百貨店通り」と呼ばれていたそうな。

いつの時代のことやら。
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まったく面影は残っていませんね。

両替商・野村商店は「りそな銀行」と名を変えて
そびえたっていましたが。

りそな銀行の前の堺筋から
ひとつ東の筋には
年中!鳥の市が開催されている「鳥屋町」?!
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これまた!いつのころのはなしでしょうか。
町中!動物園のような時代があったそうな。



(敬称略)
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