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京都西山 光明寺の紅葉はまだ [猫も歩けば棒立ち]

光明寺(京都府長岡京市)です。
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表参道を上ります。
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まだ色づいていませんね。
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御影堂の前には少し紅葉がありますが。
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圓光大師の石棺の周囲も緑のまま。
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南都(奈良)や北都(叡山)から迫害を受け
遺骸を鴨川に流されそうになったのですね。

石棺はあちこち逃げ回り
ここに安住の地を得たのでしょうか。

圓光大師は法然の大師号ですね。
大師号は死んでからうんと後の尊称でしょうけど
法然は房号でしょうか。

法然房源空が僧名らしい。

房号が通称名になるんですね。
いい名ですが不思議なような
浅学なものにはよく分かりません。



法爾自然(ほうにじねん)ということばは
昔からあるのだそうな。

「法にしたがいて」
「自(おの)ずから然(しか)らしむる」
と訓読すれば
仏にちかえば
自ずから救われて行くということでしょうか。

それから法然の師は少年に命名したらしい。

が!法然は

「させる因縁もなくして」
「法爾法然と道心を発す」

それゆえに師が「法然」と名づけてくれたと
いったそうです。(徹選択集)

「法爾法然」とは?!
「法爾自然」じゃないのですね。
どういうこと!?

浄土宗の信者や
佛教大学とか大正大学とかの
浄土宗の学校の学生なら答えてくれますか。

両親の菩提をとむらいに知恩院に参っている
こ汚い(という人もいる)居酒屋のおじさんに
聞いたことがありますが
「知らん!」と
怒ったように答えましたがね。

お布施を渡すときに僧侶に聞いてみてよ。

「どうでもいいことや」

おとっつぁん!迷って出てくるよ。



異宗徒の私には縁がなかったのですが
法然の書簡や伝記や問答類は
他の聖人に比較すれば
たくさん残っているのですね。

「百四十五箇条問答」なんか
無教養の異宗徒にも
分かりやすいような気だけはしますが。はは。

「酒飲むは罪にて候か」

「まことに飲むべくもなけれど」
「この世の習い」

「女のものねたむことは罪にて候か」

「世々に女となる果報(因果の報いか?)にて」
「ことに心うきことなり」

「法然」は質問に正面から答えず
問い返してきているのでしょうか。



法然の火葬跡。
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世の中にはエラい人がいっぱい。

力(権力!暴力!金力)のある人!
知識のある人!
容姿のいい人!血脈のいい人!

そんな人もそうでない人も
「死ぬこと」は平等です。

どんな人でも念仏を唱えつづけることで
仏とめぐりあえると説いたのでしょうか。

私には分かりません。
永遠に分からないでしょうけど。

樹齢 4、500 年といわれる
ビャクシン(柏槇)があります。
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あの大木でも
法然の死よりずっと後に生まれたはず。
そんな大木でもやがて死んで朽ちますね。
それでおしまいでいいのじゃないかと
阿呆は考えないこともありませんが。

立ち尽くせば
秋の陽が斜めに射し始めました。



(敬称略)
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